2014/12/09

おこめ券

 ご存じと思いますが、「おこめ券」というギフト券があります。ちょっとしたお礼とか記念品、内祝い、快気祝なんかに活用されています。

 発行しているのは、全国米穀販売事業協同組合、略して全米飯。全農が発行している「おこめギフト券」というのもありますが、全米飯のおこめ券の方が少しだけメジャーでしょうか。
 どちらも1枚440円分の買い物券として使えます。また、ご存知ない方も多いようですが、米穀店だけでなく、コンビニやスーパーでも大抵は通用します。

 そんな、おこめ券について気になるというか、思う所を少々。

440円の金券だが、販売する時は500円。

これは、ビール券なんかと同じですね。60円ほどが印刷やら流通コストとしてのっている。
 企業が自社専用のギフト券を発行する場合は、使用価値と同額か、あるいはプレミアムがついてる場合もあるのに比べて、古臭く感じてしまいます。特定の企業が自社の販売促進のために発行しているものとは違うわけで、仕方ないかもしれませんが。

券面にでかでかと「1kg」と記されている。

これは誤解を招くもので、どうにかならんかなと思っています。あくまで1枚440円分の買い物券なのですが、お客さんはこの券1枚で米1kg貰えると思い込んでしまいます。おコメの価格なんて、それより安い物もあればずっと高い物も。若い人ならまだいいのですが、お年寄りに説明するのは結構大変です。
 ただ、「1kg」と書いてなければ、おこめ券っぽくないというか、なにものでもない商品券でしかないのも確かで・・。やっぱり、おこめ券のアイデンティティとして「1kg」の記載は必要なのか・・・?

 そんなおこめ券ですが、今年4月初頭、おこめ券を利用して買い物をされた方が若干目立ちました。つまり、新消費税率が導入されてからおこめ券で買い物される方が目立ったということ。
 で、私の推測なんですが、この方達は1枚440円ということを知らずに、1kg/枚のコメが買えると思っていたのではないか、と。ならば、消費税増税後に使った方が得である、と勘違いしてたのではなかろうか。
 結局は440円相当の金券でしかないのですから、おこめ券であろうが現金であろうが、増税前に買った方が得なわけです。
 まあ、単に4月というシーズン、御祝に貰ったおこめ券を使った人が多かっただけかもしれません。私の勝手な思いすごしかどうかの判定は、次の増税時の観察結果に委ねられています。

鼻白むニュース

 半月くらい前にみた、テレビのローカルニュース。
 要約すると、

  • 今年のコメ価格は全国的に大幅に下がったが、農水省の統計によれば、当県内の下落幅は近隣地方内で最も少なく、結果として地方内では最高値となった。
  • その理由について、農水省は「品質の高いコメ作りによる販売先の確保に加え、地域の需要に見合った生産量の作付けが、価格低下を回避」と分析している。
 という内容。

 ここの発表を基に、農水省からもらったコメントを付けてつくったニュースですね。前半まではなんてことなく聞き流してました。「やはり、当県内産のコスパは悪いよなあ。」なんて思いながら。 
 しかし、後半の説明がなんとも鼻白む。だいたい、いくら農水省が発表した統計についてであっても、価格の理由について農水省なんかに聞いてもわからんでしょう。聞かれた方も、仕方なしに、なんとなく恰好がついて当たり障りのない回答をするしかない。

 何が鼻白むかといえば、このニュースをみたちょうど前日、取引のある業者から電話があり、県内産精米についてスポットでどこか使ってくれるところはないかと、かなりのダンピング価格を提示しながらの問い合わせがあったばかりだったからです。
 縁故米シーズンということもありますが、特に今年はスーパーが安売りしてもコメが動かない、裏にはコメがあふれてるとも聞きます。けどスーパーも特売しなきゃならないし、精米年月日は新しくなければいけない。店頭に出せない売れ残りはさらに膨れる。そんなコメが業務用にダンピングされていくわけです。


 また、いまだに24年産の県産米もけっこう残っているとも聞きます。

 確かに、「販売先の確保」という部分は、まるっきりハズレとは言えないでしょう。ただし、学校給食や病院、施設に対する市町村会議員等有力者による強い営業力に頼ったものであったり、卸売業者への押しつけであったり。消費地での売れ行きを無視すれば、確かにJAグループから民間業者への販売は出来ているといえるでしょう。しかしそれは、実際にコメを食べる人に支持されての結果とは思えません。
 品質や味は二の次、三の次で、とにかく地産地消のスローガン、政治力で売るという姿勢がいまだ根強く残っているのです。これには権威に弱い県民体質というのもあるのでしょう。地産地消というより地縁血縁といった方がいいかも。
 これでは、正しい意味での「需要に見合った生産量」とはいえないと思えます。

 そして、「品質の高いコメづくりによる販売先の確保」という部分。
 これこそ、当たり障りのない意味のない言葉でしかないのですが、しかしこれを聞いた県内生産者が勘違いするならば、むしろ有害ですらあります。
 生産者間の本当の競争、淘汰が始まろうかというこれから、品質の向上あるいはコストの削減へと、それぞれの方向へますますレベルアップしていくだろう有力生産地との力の差が、さらに広がっていくのではないかとの危惧を感じます。
 一体、このニュースは、なにが言いたかったのか、誰に向けたものだったのか。テレビのニュース番組のお得意様である、農村の老人生産者の自尊心をくすぐるためだったとしたら悲しい話です。

2014/12/01

平成26年産米の価格について雑感

 記録的ともいわれる今年のコメの価格について、今更でもありますが、感想などを徒然に。

 26年夏の過剰な古米在庫と26年産価格の下落は、昨年来巷間で予想(懸念)されていたままの展開でした。生産者にとっては新米出荷時に初めて下落のショックを受けたのかもしれませんが、流通では既に今春から大量出血しながらの在庫処分が始まっていました。
 情けない話に、一部ワイドショーではコメ価格下落を"明るいニュース"として報じてたものもあったそうで・・・。どうも人は、モノの価格が下がる理由として、何かイノベーションが起こったり、どこかで効率が改善されたり、なんかの影響で資材購入コストが下がった、などを想起しがちなのかもしれません。あるいは、テレビのドキュメンタリー風番組で、大規模で粗放なやり方により1俵数千円でもペイできる稲作なんてのを見て印象に残っている人もいるでしょう。しかし、現実に流通するコメのほとんどは、イノベーションとは縁がないし、急に今年になって効率化が進んだわけじゃない、ご覧の円安のため原油安でも燃料、資材は高止まり。つまり、この度の価格下落は単なる叩き売り、ダンピングでしかありません。
 生産者も流通業者も苦しむばかりの相場崩壊。その原因についてはJA概算金の設定や、農政に求める向きもあるようですが、根本は過剰な生産、過剰な供給だと思います。


概算金


まず、よく聞くのが、JAが概算金を下げたのが悪いという声。
 しかし率直な感想として、需給からは(あくまでも需給からです)今の価格、これこそが現実ではないでしょうか。
 一昨年、昨年とJAはかなり強気な、割高感の強い価格を設定しました。一昨年の独りよがりともいえる価格は消費者離れや業務筋での使用量減を加速させ、昨年の価格はそれよりは下がったものの需給バランスをとるにはまだまだ不足でした。それが販売不振の一因となり今夏の大量在庫を招き、溜まっていた価格下落への力が噴き出したという流れでしょう。
 もしJAが悪いとすれば、一昨年、昨年の強気な価格設定でしょう。
 しかし、そもそもの長期的な米価の下落傾向をJAの責めにする農家もよくいますが、この手の批判にはいささか違和感を感じます。むしろJAの共同販売、JA価格の存在により一般的なコメの価格は実力よりも高く維持されていたのではないでしょうか。大多数の農家はJAのおかげで現実を直視せずに済み、実力よりも過大な価格で販売できていたのでは。
 また、JA価格が全体の下支えとなることで、JAに出荷せずに独自の販売している方々もその恩恵は受けているはずです。もし、JAが存在しなければコメ農家はもっと早くから競争にさらされたことでしょうし、あるいは今頃は既に適正な生産量、生産者数へと淘汰が行われ、価格的にも安定期に入っていたかもしれません。その意味ではJAは罪な存在でしょう。


縁故米


 農家から親戚知人に譲渡されるコメを縁故米と呼びます。広義には職場の同僚などに有償で売られるコメも含まれますが、とくに価格への影響が大きいのは無償譲渡米と呼ばれるものでしょう。無償譲渡米については以前の投稿で紹介した書籍があります。
 
 ちなみに非課税輸入枠のミニマムアクセス米。国内産米価格への悪影響を避けるために、農水省による独占的な国家貿易で輸入されています。その量はSBS米10万トンも含めて76万トン、国内コメ生産量の約1割です。しかるに、先の書籍によれば流通量の1割近くが無償譲渡米、震災直後の報道では3割が縁故米という記事もありました。無償譲渡という究極のダンピング、それが流通の1割もあれば価格に影響しないわけがないでしょう。
 生産者や業者との会話の中で、「今、”担い手”に相当する農家ほど苦しんでいる」という話がよく出ます(たとえばこの記事も。)。能天気に「兼業や年金趣味農家が退場する機会」なんて言ってる人もいますが、トンデモナイ。
 プロ農家、腕のよい農家を支援する体制が整わないうちに起こった、ダンピングの我慢比べが現状です。品質/価格で競争する仕組みに至っていない。
 産業競争力会議等の議論も品質という評価軸は無視され続けてきたように感じますし、そもそも消費者も含め国民のコメの品質を見極めるリテラシーが不足しているのかもしれません(それに乗じるような、売り方ばかりに熱心で腕の方はサッパリという農家が増えているような気もするのですが、それはまた別記事で投稿しようかと思ってます。)。


とまらない過剰な生産


消費の場からは、もうずーっと前より「もう腹いっぱいだ、そんなにコメは食えない」というシグナルが送り続けられてきました。農水省の資料「日本農業新聞」からでも、あるいは一般紙やテレビからでも、生産者がその事実を知る機会は充分にあったはずです。でも、過剰がとまらなかったのは何故か。
 私はこう捉えてます。
 確かに年々生産量は減少しています。ですが、それは上から割り当てられた生産調整と高齢化・後継者不在による自然な減少との結果でしかない。生産者が状況を見極め能動的に動いた結果ではないし、なにより生産者自身が満足できる価格が形成されるまでに供給が絞られたわけじゃない。
 私は、ここがJAの罪だと思います。そして政治の罪。
 つまり、消費者がもう要らないよっていってること、確実に余るってことを知っているくせに、また売り切る自信もないくせに、まるで子供に甘いバカ親のようにJAは生産者がつくったコメをニコニコと引き受ける。
 そのため流通業者と接点の少ない農家は、自分のコメに下されている厳しい評価、現実について実感を持てず、よって真剣に進退を検討することもなく、ただ高齢化などにより二進も三進もいかなくなるまで惰性的につづける。
 そうしてJAの倉庫に生じた過剰なコメは、ダンピングしたり、流通業者にねじ込んだり、あるいは最終的には国に押し付ける。高度成長期に起源するだろうJAや国のこういった姿勢が現在のコメ生産の倦怠をもたらしたのではないでしょうか。
 ちなみに、農家が国の農政が悪いと批判する時は、国がこの甘やかしをやめようとしたことについて文句を言ってる事が多いようです。一方、流通業者や消費側が批判するのは、昭和30年代から始まったこの甘やかしがいまだに存在していることについて。そんなわけで、生産側と消費側がともに農政を批判していても話がかみ合わないことがある。それぞれ逆のことを考えているわけです。


ついでに・・・ 在庫の問題


 「米に関するマンスリーレポート(平成26年11月7日)」(PDF)の51ページによると、来年6月の民間在庫予想は233万トン。1年間の消費量の約3割です。南九州の早場米出荷は7月末に始まるでしょうが、本格的なシーズンまで2~3カ月残しての在庫と考えれば、安全保障の観点からは多いとも思えないかもしれません。でも、業界的にはこの数字は高い水準だといわれます。
 これ、新米が出たら国民みんなが新米を食べようとするからじゃないでしょうか。かつては、まず在庫の古米を食べつくしてから新米を食べ始めたと聞きます。自然なことだし、無駄なくしまつめのよい消費の順番だと思います。この風習は食糧を無駄にしないだけでなく、コメの価格の安定にも寄与するのではないでしょうか。今、みんながみんな新米を食べようとするのは、それが道徳的な気分だけでなく価格的にもハードルが下がっているからでしょう。特に今年のような親不幸相場ではなおさらに。
 つまり、新米購入の価格的ハードルがあまりに低すぎるのも問題では? と感じているのです。シーズン初っ端から新米を食べることは結構贅沢なことなのだ! と認識してもらうために、古米在庫がまだ多い間は新米価格にプレミアムがついてしかるべきではないか、と。古米をダンピングして叩き売るのではなくて。
 しかし、現在の慣習や産地間競争、業務用販売、スーパーやネットを舞台としたリンボーダンスのような価格の潜り合いがある以上、非現実的な夢想だとは解っております・・・。ただ、最低水準価格の業務用米が、10月くらいから新米を使用できるような現状は異常なことだと思います。

2014/08/04

やっぱり浸漬

 炊飯でなにが重要かって、やっぱり浸漬だと思います。
 研いだ後、炊飯開始までしっかりと水に漬けて吸水させる行為。「浸す」と書いて「かす」と読んだりもします。最近つくづく、この工程を軽んじている人が多いと感じてます。
 イマドキの炊飯器は炊きあがり後の蒸らし時間までプログラムに入っているのが普通ですから、浸漬させる工程が余計に面倒くささく見えるのかもしれません。無洗米なら、なおのこと、水加減してスイッチ入れるだけのお手軽さが当前だろ?と考える傾向にあるのかもしれません。
 ただ、美味しく炊飯しようと思うなら、ここは端折ってはならない部分でしょう。デンプンが糊化するには水分と熱が必要ですが、米粒の中心まで水が浸透するのに充分な浸漬時間がないと、中心部が糊化しきれない芯のあるご飯となります。
 また、このようなご飯は短時間で硬化しがちです。「冷めてもおいしいご飯」には、コメ自身の品質だけではなく、きちんとした炊飯も必要というわけです。いやむしろ、充分な浸漬が出来ているかどうかの方が影響大かな、と思ってます。

 で、どれくらいの時間、浸漬が必要なのか。

 よくいわれるのが、「冬場2時間、夏場1時間」。人によっては「冬場1時間、夏場30分」。でも、私の考えは、「夏場でも2時間浸漬したものは美味さが違う」です。
 芯まで吸水させるという観点からは、夏場でも30分では短いと思います。じゃあ、なんで夏場の浸漬は短時間でいいと言われ続けているのか?安全上、衛生上の観点からみれば、夏場にコメが漬けられた栄養たっぷりの水は簡単に腐敗してしまいます。長時間の浸漬はそういう危険があるのです。炊飯から変な臭いがしたり、黄色ないしは茶色っぽかったりするのは、何らかの菌が繁殖していると考えられます(余談ですが、炊飯器の内蓋の裏や蓋の蒸気が抜ける部分も毎回清潔にしましょう!)。
 じゃあ、夏場はきちんと浸漬した美味いご飯は諦めるしかないのか?対策としては、冷蔵庫に入れて浸漬させるということになります(冷蔵庫を使ったからといっても絶対な安全はありません、夏場は腐敗のリスクが高いので五感を活用してご注意ください。)。
 で、浸漬が完了したら、ざるで水をきって、一度かるく流水ですすいでから水加減して炊飯開始すれば理想でしょう。

 まあ、確かに面倒くさい。パンは買ってくればすぐに食べられるし、パスタなども熱湯に入れてから長くても十数分間茹でればOK。それに比べて、何時間も前から準備に取り組まないといけない。コメの消費増を願う米屋からすると、あまり口にしたくない不都合な真実ではあります。ではありますが、この手間をかけるか否かで世界が違うのは確かです。

 しかし実際、営業として飲食を提供しているところでも浸漬は軽視されているんです。
 先日、取引先でライスを食べたところなんか口当たりが悪い。調理現場のパートの方に浸漬はどれくらいしてるのか聞いてみたら、「うーん、10分くらいかな?」とのこと。「それじゃあ短すぎる、せめて1時間!」と言ったのですが、内部の事情がいろいろあるみたいで改善は難しそう・・・。ここは営業開始してから、たぶん15年近く経つと思うのですが、その間ずっとこのやり方でやってきた様子。
 いや、実にもったいないと思うんですが。

2014/06/21

ダンピング合戦と産地偽装のニュースと

じつに半年以上、このブログを放ったままでした。
書きたいことがないわけでもなかったのですが、どうも書くタイミングを逸したりしてた次第です。

今の状況をざっとみるに、新米シーズンが近づいてるにもかかわらず、25年産の消化が進まない。さらには糖質抜ダイエットなんてコメ関係者にとってはテロ行為のような言説も流布される。10月末の持ち越しは60万トン、過剰米対策35万トンを引いても25万トンが残るなんて予測も聞きます。
宅配Y社の強気の値上げや、某牛丼チェーンでのアルバイトの反乱など、これまでの歪なバランスを修正するような動きが報じられましたが、コメに関しては情けないというか、辛いというか。
そんなわけで、ここ1、2カ月でますます酷くなっているダンピングの件などからブログ再開しようかと。

他の業界と同様に、刹那的で暴力的なダンピングは九州方面からやってきます。特にこの時期、もう来月には南九州の早期米が収穫されるため、倉庫を空けておかなければならない事情が元来のダンピング気質に加わるのです。

元はといえば、需要を上回ることが分かっているのに行われる過剰な作付け。しかし、無駄な生産の責任は生産者がとっているのかといえば、そうとは言い切れない。たとえば、このダンピングも、生産者の処分売りもあるでしょうが、流通業者の損切りが大きいのでは。JA直売の値下げもあるでしょうが、民間ほどのヒリヒリした感じはないのかと。全農価格に至っては反応が鈍いというか、どこか他人事という風でもある。
というわけで、過剰な生産の尻拭いをさせられてるのは悲惨な流通業者というのが私の解釈です。

まあ、それでも、事情があるにせよ、捌ききれない仕入れをした業者の自己責任ではあります。しかしそれだけで済まないのが問題で、損を出して処分する業者が出れば、その周辺で堅実に仕入れて経営してきた業者までが巻き込まれてしまうわけです。馬鹿な仕入れをした業者が一人沈むなら仕方ないけど、周りの業者の足を引っ張りながら巻き添えにしてゆくという状況があります。

そんなコメ余りのさなかに目にしたニュースです。

大手のモールでは激安米を売りにしていたようです。

産地を偽りながら低価格を売りにしていたわけで、競合する業者はアンフェアな価格競争を強いられていたことになります。消費者、コメ業界のどちらから見ても、とてもじゃないが許せない行為です。

あと一つ、某サイトでのカスタマーレビューを見て思ったこと。
消費者の皆さんは、コメはいくらでも安くなる、タダに近くなると思っているのかもしれません。が、実際には生産者の資材・労賃・機械・燃料等に加え、運送する段階での燃料・車両・労賃、搗精する段階での光熱費・機械・包材・労賃・倉庫での保管などなどのコストがかかっています。
理屈の上では農地の集約や品種の選択、作業手順の効率化で、玄米1俵を1万円未満で販売してもやっていけるようなことが言われていますが、現時点でほとんどの農家、つまり消費のボリュームゾーンを支える農家の生産コストは理想的なモデルからは程遠いのです。

激安であればそれなりのモノになる(中米や砕米が多い、粒が揃ってない、古米臭がするなど)のは当然で、10kgで3,000円切りながらマトモなものを欲しがるのは、現状では、失礼ながらムシがよすぎると申し上げたい。
しかし、実際には10kg3,000円切りながらマトモな商品も大量に、当たり前のようにして出回っています。それらの商品は、生産者から販売者の間のどこかの段階で誰かが血を流していることを理解していただきたい。生産者かもしれない、流通業者かもしれない、誰かの怨念がこもった価格です。
なんて言ったら、ちょっとおどろおどろしいでしょうか。