2012/03/26

最近の「6次産業化」って何を目指しているのだろう?

「コメ」あるいは「農」にまつわる問題が話題になるとき、二つの異なる問題がごっちゃにされがちな気がします。
一つは、産業としての農業。各戸が順調に経営でき、税を納めて、国民の需要を満足させ、さらには輸出も可能な農業。どうしたら、そうできるのかという問題。
もう一つは、農村、農家の存続。消滅していく集落、継ぎ手のないイエ、地域の特色ある伝統文化をどう守るのかという問題です。

わたしは、これら二つは相反するものと考えています。一方を満足させるには、一方を犠牲にするしかない。
これまでの農政はどちらへも中途半端に応え、バランスを取りながらやってきた。騙しだましに、問題を先延ばしてきた、とも言えるでしょう。どちらかが完全に犠牲になることもなかったけど、どちらの問題も解決されていません。

このように農政を認識しておりますので、近年の「6次産業化」ブーム、国の支援などについても、これまでのモラトリアムの延長くらいに捉えていました。
そんな先日、業界紙「商経アドバイス」紙で気になるコラムを読みました。
曰く、「餅屋さん」が集まる懇親会に参加したところ、「6次産業化」が話題になったが参加者は一様に怒っていた。なぜ怒っていたかというと・・・
◇公平な競争で負けるのならば文句はないが、ライバルたる農家は補助金付き“特別待遇”での6次化展開。だが、もち米・餅・和菓子を知り尽くした「プロ中のプロ」である彼らが本当に憤っていたのは、そこではなかった。本業の彼らから「餅の神様」と呼ばれる社長いわく「農家の手作り餅というイメージだけで売れるのかもしれないが、餅のことを何も知らず、深く学ぼうともせず、薄っぺらな製品が多い。本当に良いものを作ろうという気があるのか疑いたくなる。やるなら本気でやれと言いたい」。 (「商経アドバイス」2012年3月12日「時の声」)
そして、もし6次産業化というものが補助金付きで「悪化が良貨を駆逐する」ものならば、餅屋さんだけでなく消費者や米穀業者にとっても願い下げだろうと締められています。

ここ数年のブームに乗り遅れまいと無理やり企画したような薄っぺらな6次産業化がらみの事業ってありがちですね。
もちろん、素晴らしいモノ、サービスを提供されているところも多々あります(20年、30年とブームに関係なく取り組まれているところも沢山あります)が、全体として見て補助金を含めたこのお祭り騒ぎが価値ある何かを残すとは考え難いです。これらの事業が国民の食を支えるなんてことは考えられないし、地域経済にどれだけ意味があるかも疑問です。
補助金をつぎ込んで、なにを目指しているのかよくわかりません。

補助金もらって稼働率の低い中途半端な機械を買い込んで、規模に比して過剰な数の人間が絡んでくる。スケールの小さな(採算取れないだろうと想像される)主体が、わさわさと数ばかりは沢山。
それぞれが独自に設備を持ち、経費を負担する。

今後、あまたある事業の中から、真に成功事例といえるケースも出てくるだろうとは思います。いくつか成功例が出てくれば、それでヨカッタということなのかもしれません。
私が子供のころは小さな食品メーカーが多数ありましたが、競争、淘汰により衰退しました。6次産業化認定のリストを見てると、そのような有象無象の小規模メーカーの群雄割拠をちょっと連想したりもします。ここで競争が起きると面白いことが起こるかもしれませんね。
ただ、全員の「共存」が農業界の譲れないテーマである限り、それはないのかもしれませんが。

結局、今の雰囲気からは、6次産業化=「農業では抱え込めない農村の過剰な労働力を、とりあえず世代交代でそれが消滅するまでの時限的な受け皿」って印象をもってしまいます。
しかし、農家、農村はこれで儲けられなかったとしても、建物、機械設備、コンサルティング、ブランディングなどで関係する人たちはきちんと儲けているのでしょうね・・・。

2012/03/15

お米の表示について思うこと

ほかの食品同様、お米もJAS法に基づいた品質表示を義務付けられています。

この内容やルールはときどき改正が行われるのですが、それが必要で適切な改正なのか、そもそもこの表示自体が消費者のために十分なものなのか、果たして意味のある必要なものなのか疑問も感じております。
しかし、モノを知らないが声ばかり大きい人の意見が通ってしまい、それに振り回されるのだけは勘弁してほしいと思っています。


「玄米及び精米品質表示基準」

小売されている玄米・精米には一括表示欄がつけられ、原料玄米の産地・品種・産年、精米年月日、内容量、販売者が記載されます。
このうち特に、原料玄米の産地・品種・産年は3点セットと呼ばれ、農産物検査法による検査が表示の根拠になります。
一方、この農産物検査の受検は任意でして、受けない玄米は未検査米として流通することになりますが、玄米・精米の小売段階で上記3点セットの一括表示欄への記載が出来ないほか、パッケージのその他の部分への記載も禁止されています。
しかし、未検査であろうと、どこかの土地で、特定の時期に生産されたものには違いありません。
昨年から米トレサ法との整合性のため、「産地未検査」の文言を併記という条件付で、産地の記載が認められました。


3年前の改正

ところでこの「玄米及び精米品質表示基準」は、3年前の平成21年に改正されました。詳しくはリンクをご覧いただきたいのですが、何が変わったかと言えば、
  • 単一原料の場合(ブレンド米じゃない場合)は「単一原料米」の文言を記載する。また従来は使用割合欄に「100%」と表示していたが、使用割合欄をなくす。
  • ブレンド米の場合、従来は「%」で表わしていた原料の割合を「割」で表示する。
まあ、この意図も理解できんこともないのですが・・・。これ、わざわざ変える必要があったのでしょうか?お客様が受け取る情報に、なんの違いがあるのでしょうか?
前回の改正が平成14年、それから何年も協議をした結果、これですか?
あちらこちらの事情や都合をまとめると、こういう結果にならざるを得なかったのでしょうが・・・。

この効果の分からん改正のために、これまでの一括表示欄が印刷された米袋はそのままでは使えなくなりました。また、単品とブレンドの場合では一括表示欄が異なり、袋の使い回しが出来ず、別々に用意しなければなりません。
米袋ってのはまとめて発注すると単価が安くなるので、5年分とかストックを持ってた同業者もいて、当時ショックを受けていました。


「未検査米の3点セット」および「くず米使用」の表示義務化?

ところで、こんな記事がありました。引用します。
くず米:消費者団体、含有率表示を 格安米1割、業界基準上回る - 毎日jp(毎日新聞) 
毎日新聞 2012年2月29日 東京朝刊
ディスカウントストアなどで売られる格安米に含まれる、砕けた米粒(くず米)の割合を消費者庁が調べたところ、約1割が業界の定める品質の基準値を上回っていたことが分かった。同じ値段なのに含有率が高いコメも低いコメもあり、消費者団体はくず米の含有率の表示の義務化を求めている。
調査の対象は11年11月~12年1月、関東と関西の小売店やネット上で売られていた200点の格安米(主に1キロ300~400円の品)。米穀公正取引推進協議会は精米のガイドラインで、くず米の含有率を8%以下としているが、17点が8・5%以上だった。最も高いものは25%だった。
この商品は1キロ250円だったが、ほぼ同じ値段で含有率が3%の商品もあった。価格と含有率に相関関係がなく、価格が品質を見極める材料にならないことが分かった。
くず米は精米工場で通常の大きさの米とふるい分けられ、みそ用や米菓用などで出荷される。その後の運搬や劣化などによって米が欠け、通常の食用米にくず米が混じることもある。くず米の含有率の表示は法律で義務づけられておらず、多くは「国産100%」や「(銘柄名)100%」などと表示されている。
くず米の問題に詳しい秋田県大潟村農業委員の今野茂樹さんは「故意にくず米を混入させ、米の量を増やしている業者もいる」と指摘する。11年7月にくず米を混ぜた米を新潟産コシヒカリ100%と偽装して販売したとして東京都の男が不正競争防止法違反容疑で逮捕される事件もあった。
主婦連合会の山根香織会長は「食味を損なうくず米の含有率が区別できない状態で売られていることは問題だ」と指摘。NPO法人・日本消費者連盟の山浦康明事務局長は「識別できるような表示を検討すべきだ」と話している。【水戸健一】
また、内閣府消費者委員会は2月20日の食品表示部会で「未検査米の産地・産年・品種表示」と「低品質米(くず米)使用の表示」義務付けに向けて推進していく方針を出したとのことです。



まあ、くず米を意図的に混入したり、あるいは価格や商品の謳い文句に比して砕米の含有率が高かったりするのは問題だと思います。また、JAS表示と矛盾する内容なら、それは論外でしょう。
 しかし、米自体が柔らかく砕米が発生しやすいけど食味は優れた米もあるし、産地の出荷前のふるいによっては1等ついてても粒が揃ってるとは言い難いものもある・・・というのが現場の感想です。また、砕米が多くてもいいから安いのが必要だという人もいます。

できるだけ、相談したり信用できる店で買ったり、量販店で買うなら中身の見える袋を選んで自分の目で確かめ、舌で確認して知識、智恵を付けていくというのが本筋じゃないのかなと思います。
本来、「食育」(僕はこの言葉あんまり好きじゃないんですが)ってこういうセンスを養うことなんじゃないでしょうかね、印刷された表示の読み取り方に長けるのじゃなくて。

また、未検査米の表示の方については、販売者が責任を取れる範囲で、任意で(メリット表示として)記載することを認めてもいいとは思うのですが、これの義務化を主張するのはあまりにも非現実的、想像力に欠けた妄言だと思うのです。
もし、産地を気にするのなら、内容の不明な複数原料米を避け、都道府県名が表示がされた品を選択すれば済むことではないのでしょうか。
義務化のデメリットについては、上記「週刊ライスビジネス」から引用します。
未検査米の中身を表示せよ、と言っても、非常に困難。嘘をつけ、と言っているに等しく、これが実行されれば却って消費者被害が増えるのではないか、と心配される。 
まだ現時点では内閣府のサイトに議事録がアップされてませんので、具体的な議論はわからないのですが、このような誰のためか分からない主張で存在をアピールしなければならない方たちの集まりなのでしょうか。(※その後アップされました。

農産物検査についてや、自分の感覚よりもブランドにたよる消費者の姿勢など、まだ書きたいこともありますが、ちょっと長くなってしまったので、それはまたの機会にします。

2012/03/14

【書籍】『贈与米のメカニズムとその世界』(農林統計出版)松本裕子


縁故米、贈与米などの言葉をご存知でしょうか。農家が商品としてではなく、無償または低廉な価格で知人等に分けるお米のことです。
この縁故米は年々増えていると言われているのですが、米屋にとってはその実態がわかりにくく不気味な存在でした。本書は特に生産者から無償譲渡される「無償譲渡米」にスポットを当て分析したもので、非常に興味深いテーマです。

本書によれば消費量の1割近くが無償譲渡米とのこと、改めて量の多さに驚きました(2012年2月9日の新聞記事「絆消費がコメ流通を変える? 縁故米の比率が3割に  :日本経済新聞」ではなんと3割とのこと。)。MA輸入枠が77万トン、それと大差ないわけです。MA米は生産者価格に影響しないようにその大部分は加工用として輸入されていることを思い起こしても、無償譲渡米の規模と価格への影響力は無視できないはずのものです。

本書ではコメ生産構造の違いで地域を分類し、その両極端にある千葉県と新潟県の農家にヒアリング調査を行なっています。
そこから見える共通点は、無償譲渡米は傍系の親戚や知人への挨拶としての贈与と、家を出た子供への贈与の二種類があること。特に量的に重要なのは子供への贈与です。これは、元来は自家飯米として消費していた分が子供の独立により外部化したものと言えます。さらに孫の誕生などで子供の家の員数が増えるに従って譲渡量も増えていくとうわけで、これは生産者が高齢であるほど無償譲渡量が増えることにあらわれています。
それを思うと、農家戸数250万、そこが1戸あたり4人くらい外部化した家族消費があると考えれば、国内消費量の1割近くの無償譲渡米があることも、そりゃそうだろうなと思えてきます。
しかし、農家戸数は過剰なんだなと改めて感じざるを得ません。生産量の1割が生産者の家族によって消費されているなんて・・・。

また、本書では無償譲渡米の存在する理由として、農家経済の二重性をあげています。
農家の自家労働力は、
商品生産労働としての価値を生産する社会的労働部分と、自給生産労働としての使用価値を生産する私的労働部分から成る。(p.61)
としていますが、無償譲渡米は
自給生産から派生する、農家の血縁的関係を核とした資源配分である。 (p.64)
と語られています。

本書でも、
問題は結局戦後日本の農業が一貫して農業における自家労働力の「社会的労働力」を、食管法下での米価スライド式値上げといった政治的方策以外に、正当に評価する経済原理を持ち得なかったところにある。(p.64)
と、指摘されていますが、 この農家経済の二重性は色々な意味で、とくに農政において軽視され過ぎてきたのではと感じます。
また、農業には多くの公金が注ぎ込まれてきましたが、その1割近くがプライベートな消費へと向けられることも気になります。

本書ではさらに、コメ生産の二極化の影響や今後の無償譲渡米の展望などについても書かれています。コメに関わる方、この面妖なる縁故米という存在について理解を深めたい方へお勧めします。

2012/03/13

【書籍】『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』(日本経済新聞出版社)川島博之



過剰な農家戸数と生産量が今のコメ問題の本質だと感じている私にとって、非常に共感もし、参考となる本でした。

私は「過疎化対策で農業再建する」とか、「産直や6次産業化で村おこし」などの言葉を聞くと、なんか違和感を感じます。
農業問題であろうが農村問題であろうが、そんなのなんの解決策にもならない。そのことを理解していながら補助金やコンサル料などの付帯するカネの動きを目当てにテキトーなことを言ってる人もいれば、本当に信じてしまっている人もいます。

解決しにくい問題を抱えている人に対して、一見解決策になりそうに思えることを提示して商売にする人がいます。悩める中小企業経営者の周りには、そんな胡散臭げな人たちが寄ってくるものです。曰く、SNSでセルフ・ブランディングだとか、コーチングで売上倍増とか、異業種とコラボするための名刺交換会だとか、まあいろいろとネタをつくってはセミナーやパーティーをいっちょまとめてって感じで・・・。夢を見させてカネを巻き上げようって悪人もいれば、仕掛けてる人自身も本気で信じちゃってる場合もあるわけです。

で、悩める農村もそれと同じように思えるのです。
地域のみんなで集まってイベントを楽しむ程度の認識なら別にいいのですが、そこにもし農業振興の名目で補助金などの公金が使われたりするなら問題があるケースも出てくるのではないでしょうか。

さて、本書の主張の前半は、
  • 人口爆発が食料危機をもたらすことはない。むしろ、食料生産が向上するから人口が増加するのであって、食料が足りなければ人口は増えない。過去の歴史で人口が急増したのは、新大陸発見などによる農地の増加があった16世紀と、化学肥料の普及により単収が増加した1950年以降である。
  • 現在、飢餓ないし栄養不足の原因は紛争、政治的混乱、貧困である。食料の絶対量が足りないのではない。フリーターでも生きていけることが食料の過剰を示している。
ということです。

さらに後半、国内農業に関して、
  • 農業人口は減少し、農民は高齢化しているが、それでも充分な生産が出来てしまっている。過剰な生産によって農産物の価格が低迷していることは、なおも農業労働力が過剰であることを意味する。「農業の担い手不足」を問題とするのは、ものの本質を見ない議論である。
  • 国内のコメは余っているにもかかわらず、海外と比較して価格が高い。過剰な労働力が農業部門に停滞しているが故に農業部門の所得が低いのだが、それを政治的にコメ価格をつり上げることで対処してきた為だ。
  • 歴史的な経緯もあるが、アメリカ、フランスと比較し農民一人当たりの生産量が極めて少ない。その結果、穀物の価格が高く競争力がない。
  • 農民の数が少なくなったから日本農業が衰退したのではなく、農民の数が多すぎて合理化が進まなかったため衰退した。
  • 農業が地方を再生することできない。日本農業が競争力を持つためには農民の数が減らなければならない。
と現状を分析し、
将来の提言として、
  • 規制が悪いとする新自由主義的な意見は当を得たものではない。人口密度の高い日本では農地法を改正しても広い農地を作ることはできない。国土の狭い日本はオランダ型農業を目指すべきだ。
  • コメづくりは自由化により生産量は現在の半分となり、1万個未満の農家に集約されるだろう。
  • 定年帰農は日本農業の発展を阻害しているが、地方を新たな時代にソフトランディングさせる間のつなぎとすることができる。
  • TPP、FTAではコメを例外として参加することが出来るのではないか。日本のコメ市場は現在1兆8000億円、自由化すれば9000億円程度と予想されるが、諸外国にとってそれほど興味をひくものではない。
と語られています。

意外だなと印象に残ったのは終章になって、経団連等の新自由主義的な農民批判は当を得ないものとし、定年帰農など農業振興の真逆をいく動きに対しても、過渡期のつなぎとしてありうると評価しているところです。

本書のほとんどの内容、特に日本農業のこれまでの分析には、「御意!」と感じているのですが、ところどころ引っかかる部分もありました。

まず、コメ自由化が行われた場合、農地の集約が進むという見通しです。私は、その場合もっとも大変なのはある程度の農地を耕作するプロの稲作農家になるのではないかと危惧しています。これまでの倍の労働をして、これまでと同様の収入にしかならないのです。
自由化に先立って、現在のようなバラマキを改め、プロ農家へ傾斜した支援が必要だと感じています。

また、著者はTPPにおいてコメを関税撤廃の例外とすることに楽観的なようですが、難しいのではないでしょうか。海外の生産者だけでなく、日本国内においてもコメの自由化を願っている人たちがいるわけですし。

そして、現状として食料が過剰に生産されているという点は納得するのですが、将来において食料危機がおこることはない、といい切れるかどうか、私にはまだ不安があります。
最近ちらほらと、オランダ型の農業をとりあげて、日本が目指すべきモデルだとして語られているのを目にします(たとえば田村耕太郎氏)。ただ、良い面ばかりでなくそれが持つリスクも考えておきたいです。

長い紹介になってしまいましたが、農業・農産物に関わる方だけでなく、多くの方に読んでいただきたい本です。特に、都市部に居住されて農業に関心を持たれている方に。
(おそらく、農村に暮らし農業をされている方は、ホンネでは過剰な生産、過剰な農家数が農業問題の本質だという本書の主張を理解されているでしょうから・・・。)

2012/03/05

米ヌカの産地情報伝達とコイン精米所

精米すると、重量にして玄米の1割ほどの米ヌカが発生します。容量でみると、かさ張るので2割くらいになります。
米屋にとっての米ヌカは廃棄物というよりも副産物という位置づけになるのですが、引取価格はかなり安く保管の場所代にもならなくらい。それでも処分しなければ溜まるばかりだし、廃棄物として処分する手間やコストを考えれば、取りに来てもらえるならマァいいか、という感じです。

発生した米ヌカは、主に米油の原料や堆肥、飼料に使われます。 また、少量でしたらヌカ床に使ったり、これからのシーズンは筍を調理するときにも使われます。あとは、石鹸に添加したり、美容パックとして利用したり、ヌカ袋に入れて清掃に利用したり、などなど。
胚乳部分よりも油分やミネラル、ビタミンなど微量栄養素に富み、原料価格も安いのが魅力でしょうか。
反面、栄養分に富んでいるうえに細かい粉末になっているため、酸化しやすく、腐敗したり虫がつきやすい厄介な部分もあります。また、人間に有益な栄養素だけでなく残留農薬やカドミウム等の重金属もヌカ部分に多く溜まります。そして放射性セシウムも同様です。

昨年末、農林水産省から「平成23年産米に由来する米ぬか等の取扱いについて」が発表されました。
要点は、

  1. 米ヌカの加工係数は「8」。(例えば、10Bq/kgの放射性セシウムが検出された玄米なら、そのヌカの放射性セシウム濃度は80Bq/kgと推計する。)
  2. 米ヌカの販売においては産地情報を伝達する。
    1. 放射性物質調査の対象となった17都県産以外の玄米の場合はその旨を、
    2. 17都県のうち放射性物質が定量されていない地域のものは産年(22年、23年)ごとの使用割合を、
    3. 放射性物質が定量された地区の玄米は使用割合とその地区の放射性物質調査の結果を伝える。
    4. 暫定規制値を超えないようにする。
  3. 飼料、肥料等の製造業者はこれらの情報を基に、製品が許容値を超えないようにする。

先日、同業者と集まる機会がありました。そのときにちょっと話題になったのが、コイン精米機でのヌカです。
コイン精米所には不特定の利用者により30kgとか60kgの小ロットで多様な玄米が持ち込まれるのですが、そこでどんな玄米が持ち込まれているのかは把握されていません。さきに書きましたように米ヌカの引取価格は安く、加えて回収するごとに内容が異なる。とてもじゃありませんが回収毎に検査機関に測定してもらうのは非現実的な話でしょう。
ならば、コイン精米機のヌカはただの廃棄物として処分されるのか?
農林水産省は通知で、つぎのように指導しています。

2.米ぬか等を用いた食品、肥飼料等の安全の確保(1)(イ)
コイン精米機の管理事業者は、玄米の放射性物質調査の結果、40 Bq/kg 以上の値が見られた市町村に設置されたコイン精米機で発生した米ぬかについて、当該地域の玄米から発生した米ぬかの放射性セシウム濃度の推計値を参考に、食品や単体での肥飼料等への利用は控えるようコイン精米機の利用者や米ぬかの利用者に注意喚起を行う。
ここでは、昨年行われた玄米の放射性物質調査で40Bq/kg以上の値が出なかった市町村に設置されているコイン精米機には触れられていません。
昨年の玄米の調査のとき40Bq/kg以上が見られた地域は、福島県を除くと茨城県鉾田市、北茨城市、栃木県日光市、群馬県安中市、渋川市、千葉県市川市くらいですね。
では、それ以外のヌカは原発事故以前と同様にフリーパスということなんでしょうか。
当該地域の玄米から発生した米ぬかの放射性セシウム濃度の推計値を参考に
という部分から思うに、他の地域においてもコイン精米機の米ヌカのセシウム濃度は、それが設置された地域の検査結果から推計して扱うということでしょうか。
しかしこれは、コイン精米機で精米される米は、その地元の米ばかりだという想定を前提としているわけですよね。
原発事故の影響もあり首都圏でコイン精米機の利用が増えていることが、業界紙で報じられています(商経アドバイス2月27日号)。今、国内のコイン精米機から発生するヌカは、かなりの量にのぼることでしょう。
東京都や神奈川県などにあるコイン精米機には、それら都県のコメ生産量と消費量のバランスから考えても、持ち込まれる玄米の大部分は他県産だと思われます。

もちろん、完璧な制度というものが存在するとは思いませんが、どこか納得いかない、釈然としない。この辺の詰めの甘さが、残念に思えます。あるいは、いろんな方面への影響を考えた結果、中途半端になったのか。
いくら一部では情報伝達をきちんとしても、こういう大きなところに穴があると思うと、なにか虚しさを感じます。

コメ行政に関しては、ありがちな虚しさなんですが。

2012/03/04

お米を使った海外サイトのレシピを見て・・・

下記リンクは米国のコカ・コーラ社のレシピですが、ちょっとショックを受けました。

リゾット風の料理なのですが、お米を炒めたあとコーラをドボドボと入れて煮込んじゃいます。肉料理にコーラを使うというのは時々聞きますが、お米にコーラっていうのはなんかタブーめいた感じがします。
まだ私は試していないので味は知りませんが、この発想の自由さには心地よさすら感じました。私にはとても思いつかないし、たとえ思いついたとしても即座に却下したことでしょう。
私たちは日本が瑞穂の国であると自認し、多くの人がお米に関して一家言持っています。しかし反面、その食べ方においてだいぶ保守的なのかもしれません。


例えば、Rice Recipesにはチャーハン、ピラフ、リゾット、メキシカン、スパニッシュ、ライスプディングなどの料理やデザートが紹介され、使用するお米も料理に合わせて長粒種のバスマティやイタリアのアルボリオ、日本風の短粒種など。近頃よく名前を目にするSNSのPinterestでも多くの米料理の写真が公開されていますが、私のイメージしてた米料理の枠を超えるバラエティに富んだもので、目を楽しませてくれます。


ところで、お米についてはうるさいとされる私たち日本人ですが、ご家庭では上記したような料理をそれに適したお米を使って調理されているでしょうか?家庭でもパスタは本場の食材にこだわり、茹で加減もアルデンテが云々と言っている割には、リゾットはスープを吸わないコシヒカリだったりするのではないでしょうか。
さすがに三十年前みたいに、洋風の味付けをした焼き飯を「ピラフ」と呼ぶことは、今はないでしょうが。


しかしまあ、私自身も一番好きなのは日本のお米で、それを白飯として食べるのが落ち着くクチです。
それでも、世界各国の”本格的”な料理が食べられる日本において、お米に関わる料理だけは無理して日本のお米を使っているのは画竜点睛を欠く様で残念に思えます(ただ、こうなっているのも他の食材に比べコメ輸出入のハードルが高いことに大きく起因するのだとは思いますが。)。
また、上記したような海外のサイトを見て、もっと自由な発想でお米と向き合う余地がまだまだあることを感じています。