2012/11/29

コメ高騰は全農の概算金引き上げが要因とする報道に、全農・全中が反論

8月の投稿で、JA概算金の設定に影響されて新米相場が高騰していることを書きました。
当時はまだ早期米の季節であり、一般米が登場するころには相対価格の大幅な修正もあるかもと淡い期待をしておりましたが、依然高値がつづいた状態です。まあ今でも、概算金そのままでも、あと1,500円くらいならJA相対価格も下げる余裕があるのと思ってます。

しかし全国作況指数102の発表にもかかわらず高騰がつづき、ついに一般紙も農協の概算金設定が高騰をもたらしていることを報じるようになりました。代表例は読売新聞の11月5日の社説「豊作でも高値 矛盾だらけのコメ政策見直せ」でしょう。消費者軽視の農協の理論、消費者ニーズに沿う努力の不足、飼料用米への補助金の太さなどが上手く指摘されています。

ところが11月20日に全中と全農が連名でこのような新聞報道に対する反論を行っています。

 「豊作にもかかわらず米価が高いのは全農の概算金引き上げに要因があるとする一部報道について」 

 
この反論では「全農の概算金の引き上げや集荷拡大が原因であるとの報道」は誤解を招くとして三点を主張しています。


  1. 端境期に需給がひっ迫し、そのため業者の価格水準が上昇し、概算金はそれに合わせたにすぎない。
  2. 報道されている米価は、全価格帯の加重平均。高価格帯の上昇はわずかだが業務用低価格帯の需給がひっ迫し上昇が大きい。低価格帯がひっ迫したのは「政府備蓄米の運営が、新米を買い入れ、古米を売り渡す回転備蓄方式から、買い入れた米を一定期間保管後、飼料用等に販売する棚上備蓄方式に移行したことにより、政府備蓄米が主食用に売却されなくなったことも要因の1つ」。
  3. 東北、北陸での猛暑による被害がある。精米歩留の低下が懸念されている。

三点についての感想です。
  1. 端境期の記憶を辿ってみると・・・。
    春から夏にかけて、確かに動いているコメが少なかったです。卸売りの営業も、顔は出しても「売るものがない」とぼやくばかり。ただ、今になって見ると23年産も無かったわけではない。農家から末端の米屋まで、なんだかんだいって少しずつ在庫してたみたいですね。実際、口では「無い、無い」と言ってもパニックは起こらなかった。
    むしろ、南九州から始まる早期米の概算金が軒並み高かったことがショックでした。当然、JA相対価格も、予想だにしなかった強気の値段。民間集荷業者もJA概算金が高すぎて様子見。
    米屋の現場からは、概算金設定 → 高騰という順番にみえましたね。
  2. 低価格帯ひっ迫の理由として挙げられている棚上備蓄。なんか政策が悪いような口ぶりですが、もともと回転備蓄から、隠れた価格支持政策といえる棚上備蓄への変更は生産者側が望んで実現させたのではなかったか?例えばこの記事(棚上げ備蓄で米価が上がる | コラム | JAcom)。
    また、低価格帯の不足は、上記の読売社説でも示されている飼料用米への補助金の太さが大きく影響しているといわれています。農政の責任といえばそうですが、これも生産者側としては望んでいた政策ではなかったか?
    最大の理由は、「消費者のニーズを満足させたい」という意識が生産者側に希薄であることではないでしょうか。消費者は生産者にとって都合のいいもの、生産者が作りたいものを食べてればいいのだ、という驕りがないでしょうか?
    自分たちは消費者のニーズを無視する一方で、その捨て置かれた消費者ニーズを満たすだろう米が消費者に届くことは、政治的圧力で阻止する。どうも最近、TPPに反対する農業関係者の姿がこんな感じに見えてしまって・・・。
  3. まず、高いのは玄米価格です。精米価格も高いですが、精米業者は原料の上昇分を充分転嫁できていません。歩留が悪いから商品価格を上げているという意味なら、全くのお門違いでしょう。
    もしかしたら、歩留が悪そうだから、精米の出来上がりが少なくなりそうだから、必要な玄米量を多めに見積もってひっ迫しているというのでしょうか?だとすると、なんか、ひとごとみたいですね。
ついでに確認しておきたいのが今年4月のこの記事です


集荷量減少に危機感をもち、24年産は具体的な数値目標を設定して臨んでいたことがわかります。
23年産は266万トンであった連合会出荷米を300万トンに、JA直売まで含めた集荷を23年の356万トンから400万トンにすることを目指すと。
具体策として、機動性に欠く現在の共同計算のやり方を見直すなどありますが、今年の各地での集荷に間に合ったのでしょうか?
他に有効な策がないままで、300万トンを実現しようとすれば、やっぱり力技にならざるをえないのでは?
しかし、この記事も、また今年の概算金の騒動も、「集荷すればどうにかなる」という雰囲気を全農さんから感じるのですが、やっぱり現場では高ければ米は動かないのです。
そもそも全農集荷量が減ったのは、委託する農家が減っただけでなく、全農玉に魅力を感じない買い手が増えたからでしょう。

2012/09/10

「平成のコメ騒動」の思い出

仕事柄、私は毎日、お米に触れています。
玄米を見て、搗精して、食べてみて、生産者や同業者から話を聞き、各種資料や発表に目をとおし、アマゾンで関連書籍をチェックして・・・。お米への興味は尽きません。
かといって、「日本食バンザイ!パンはダメ!ファストフード嫌い!何が何でも日本の農村を守れ!」というタイプでは決してありませんし、なりたくありません。
むしろ、食育やら日本的食生活の推進やら限界集落の再生やらに熱心な方々からすると、ずいぶんと冷めてみえることでしょう。あるいは「米屋としての責務を心得てない」と映るかもしれません。

しかし、このような当事者たちも自分たちが何をしているのやらよくわからずに踊っているような活動からは、ちょっと引いているくらいがプロの米屋として正しいスタンスだと私は思っています。いくらお米が好きでも「目がない」までになっては具合が悪い。また、お客さんにとって無意味な思い入れを押し出すことも邪魔になるでしょう。
コメ原理主義的な姿勢では、コメがファストフードやパン、麺に負けている部分も見えてこないでしょう。
そして、大げさなことを言って消費者を脅したり、怪しげな健康法や思想を商売に利用するために軽率に紹介することは許されるべきではない。
そう思っています。

そんな私が、まったくコメに関わりなく、知識もなければ興味もなく、品質も味もよく判らない小僧だった頃です。でも、この時の記憶が米屋としての考え方に影響していると思います。
平成のコメ騒動が起こった1993年、当時の私はまさか自分が米屋になるなんて思いもしない学生で、一人暮らしをしておりました。
食事は自炊と外食が3:7くらい。本当は自炊メインにするつもりだったのですが、結局は外食の割合が増えていました。
そして生じたコメ騒動。テレビでは国産米の高騰のみならず、タイ米とのブレンドを買わざるを得なくなることや、飲食店でもタイ米が使われること、そしてそのタイ米が美味くないこと!が語られます。ついでにヤミ米の話やら、なぜかお米を売る城南電機の宮路社長やらもテレビに登場して、コメの世界や農政を全く知らない人間にとってはカオスでした。

それまでの私は日本人の常識(?)にとらわれており、外食中心ではありましたが、1日1回も白飯を食べないで過ごすなんてあり得ないと思ってました。
そこに起こったこの騒動。白飯が食べられないのは困る、しかし「不味い」だの「不衛生」だのとテレビで散々脅され偏見に囚われていた私はタイ米を食べるのも気がすすまない。
で、結局その騒動の間、お米を買うこともなく、外食でもなるべくは白飯を食べず、ほとんどはファストフード、パン類、麺類でなんとなく過ごしてしまいました。

結果、よーく判ったのは「しばらくコメを食わなくてもなんてことない、他の選択肢はいっぱいある」ということ。
おそらく、この騒動で私と同じような悟りに至った人も少なくないのでは?
こういう経験は、各人のコメ離れの傾向にボディーブローのような効き目があっただろうと思います。

生産者サイドの一方的な都合によるコメ高騰を迎えている今秋、そんなことを思い出します。
今は1993年と比較して、外国産米への理解は進み抵抗はなくなっています。コメ以外の炭水化物で食事を終わらせることも当たり前の習慣となっています。
おそらく、今年の高騰は消費量だけでなく、気持ちの上でもコメ離れをもたらすのではないでしょうか。

2012/09/05

24年産新米スタート

平成24年産早期米の価格について先日投稿しましたが、その続きです。

うちの地元県内でも、早期米ではない通常のコシヒカリの刈り取りが始まり、9月の中旬には玄米の出荷スタートします。で、先日JA県連の組合長会議、全農と卸売各社との会議が相次いで開かれ価格が決定した模様です。
「やはり!」というべきか「なんと!」というべきか・・・。きちんとした見積もりはまだ受け取ってないのですが、人づてに聞いた話では、早期米と同じく昨年比2,000円のアップです。
白米にしてkgあたりの原価40円近く高くなっています。もし業務用取引先に対しての値上げ要求が受け入れられなければ、場合によっては原価割れ。
もしかしたら今年は取引先、業態など根本から見直さなければならないかもしれません。まあ、いずれはそういう時が来るわけで、これがいいきっかけかもしれませんが・・・。

しかし、私の周りでは、この価格が1年を通して続くと思っている人は少ないようです。
まず、この価格が需要と供給を反映したものではなく、JAが集荷率を上げるために農家への概算金を高く設定した結果であること。24年産の作柄は、ほとんどの地域が「平年並み」か「やや良」に含まれる見通しで、そのうえ過剰作付けもあり、数量的には余るのは必至でしょう。当初は飛び抜けて上昇した関東地方某県の概算金も、バランスを取るようにじりじりと下げてきているようですし。
業者もバカ高い24年産にあせって手を出すこともしないでしょう。にぶい動きに、仕方なくズルズルと値下げの価格改定が連続するのでは、と思われます。
(海外の干ばつの影響、他の食糧の高騰の影響がどこまであるか、など気になることはいろいろとありますが・・・。)

8月、近所のスーパーで宮崎コシヒカリ新米が5㎏2,380円で販売されていました。玄米の価格からすれば、そうならざるを得ない価格ですが、スーパーの目玉商品としてはちょっと高いな、という印象でした。その商品をスーパーに卸している業者の人から聞いたところ、全然売れないとのことでした。
ところが、9月に入ってその業者の配送トラックがたまたまうちに寄った時のこと。荷台を覗くと宮崎コシヒカリがたんまり積まれています。聞くと「値段を下げたら、バンバン売れてる」とのこと。
5kg1,990円と当初から390円の値下げ。原価割れではないけれど、搗精、配送のコストを考えると・・・ですね。9月に入り、もうじき普通の新米が出回り始めるわけですから、その前にシーズン物の宮崎コシヒカリは捌いてしまわなければならないから仕方ありません。
この業者も、自社が仕入れた値段に見合う価格設定をしたのでは売れないことはわかっていたし、こんなバカ高い米は仕入たくもなかったみたいですが、いろんなしがらみから引き受けざるを得なかったようです。
後味悪い早場米ですが、宮崎の生産者やJAは消費地の状況をどう思っているのでしょうか?まさか、「自分らは高値で売り切ってしまえばOK」ってことはないと思いますが。

2012/08/25

節米

去年に続き電力不足が懸念された夏でした。
原発の問題だけでなく、以前から「節電」の必要性は人々に認識されていました。エアコンの設定温度、LED電球や省エネ家電の使用、グリーンカーテン、クール(ウォーム)ビズ・・・等々さまざまな方法で実践されてます。

今年の夏、私は「節電」だけでなく、コメを節約する「節米」も必要なんじゃないか、なんて考えながら過ごしていました。
原発への依存度がもとから低い地方で暮らしていることもあり、電力の供給についてはそれほど切迫したものを感じずにすんだのですが、その代わりコメの供給に対しての不安は消えることがありませんでした。

この「節米」という言葉、適当に思い浮かんだ言葉だったのですが、ネットで検索してみると、国語辞典にも載っている言葉のようです。またこちらのブログには「節米器」なる道具が紹介されています。戦時下には当たり前のように節米が奨励されており、雑誌で節米の方法が指導されたり、地方によっては米の代わりに「ほうとう」を食べることが奨励されたり、また駅弁の包み紙までもが節米を説いていたようです。

しかしまあ、23年秋の収穫、在庫、消費量からしてもっと余裕があってもいいはずなのに、なぜかずっとタイトな感じ、卸売業者も売るコメがないという手持無沙汰な状態がつづきました。
産地か流通段階のどこかに隠されているのではないか?しかし、隠されていたならそろそろ出なきゃおかしい時期になっても、まだ出てこない。ならば、そもそも生産量の推計が間違っていたのではないか?あるいはまさか消費者や小売には必要な量が既に行き渡っているのか?
23年産の不足の原因についてはいろいろな説が考えられていますが、ハッキリしない。事実はどうであったのか不明なまま、24年産の新米時期となりました。真相は迷宮入りしそうです。

このように、米屋はヤキモキしたり、不安を感じながら過ごしてきたわけですが、最終的にそのお米を消費する一般家庭の皆さん、飲食店さん、弁当屋さん等には、なかなかその辺の危機感が伝わっておりませんでした。


まず、23年産の不足原因の一つとして挙げられていたのが、消費者の買いだめです。
放射性物質による汚染の不安から23年の夏には22年産が、秋以降はコメ不足の不安や災害対策用としてかなりの量を買いだめする消費者がいたと聞きます。しかし中には適切に保管されずに虫やカビを発生させ、廃棄されたコメがかなりあるという推理です。


また、業務用で発生する無駄。
飲食店・弁当店などは仕事でやってるわけですから、滅多なことでは炊飯量を減らすわけにはいきません。
お米というのは、食べられるご飯の状態にするのに時間がかかるわけで、お店はあらかじめ炊飯しておかなければなりません。
大抵のお店ではお客様の注文に対して不足しないように炊飯するわけでして、閉店時にご飯が余っているほどに用意されることになります。
余ったご飯は、スタッフのまかない飯にするか、あるいは冷凍保存して焼き飯に使うなどで無駄は減らせるでしょう。しかし、白飯で提供する場合は余った分を翌日に回すのは避けたいところで(なかには一日くらいジャーで保存したり、一晩冷蔵保存されたご飯をチンしたりするお店もあるようですが、衛生・安全の観点や食味の観点から避けていただきたいです。)、基本的には廃棄されていると思われます。

以前読んだ本「日本残酷物語〈5〉近代の暗黒 (平凡社ライブラリー)」に「残飯屋」という商売が描かれていました。残飯を仕入れて、それを貧しい人たちに安価で提供する飯屋が登場します。当時のような不衛生なやり方では論外でありますが、衛生管理がしっかりしていれば余り飯を残飯にせず安価な食材として使用することも可能性としてはありでしょう。食糧危機の到来を予想する人たちもいますし。
そうでなくても現在もエコフィードなどの利用方法もありますね。

ところで、最近の日本人のコメ消費量の平均は1人1年間で1俵を下回るといわれています。しかし、少なからぬ残飯が発生する外食・中食の利用割合が増えていることを考慮すれば、実際に食べている量はもっと少ないのではないか、そして食べられずに廃棄されているコメは相当あるのではないかと思えます。

この数年、コメ余りでダブダブというのが当たり前の状態が続いていましたが、311あたりから風向きが変わったという印象があります。ただ、実際にモノが不足しているかどうかは大いに疑問ですが、円滑な流通とは言えないのは確かです。滞りが発生する歪があり、円滑な流通を阻害する原因となっているのではないでしょうか。
この歪をなくすことが食糧安全保障にも海外のコメとの競合にも必要だと思うのですが。どうも、世間的には無邪気にこの歪をつくり育てる方向に向かっているのではないかと、そんな感じがしています。

2012/08/22

平成24年産早期米価格におもう

8月も下旬に入り、24年産の早期米もだいぶ揃ってきました。
でも、ハッキリ言って高いのです。高すぎて私の周辺では卸売も小売もしらけてしまっています。
震災の影響から高騰した昨年よりもさらに、1俵あたり\2,000~\2,500高い値段が提示されています。白米での原価にすると(1俵=54kgの歩留で)、1kgあたり\37~\46の上昇となります。

昨年よりコメの先物が始まっていることから、「このようなコメの価格も需給を反映した結果だろう」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは違います。
現時点では実際、コメの相場というものは全農が鉛筆なめなめ一方的に決めた価格に縛られてしまっています。とくにこのハシリの時期の価格は全農の言い値でほぼ決まりでしょう。JA以外のルートで出荷される場合でも、集荷業者も生産者もJAの決めた概算金(生産者に支払うとりあえずの内金)の水準に引きずられざるを得ないわけです。
では何故、豊作が予想されるうえに輸入米の存在感も気になる今年、全農はこのような高い値段をつけてきたのでしょうか。全農の集荷率はこのところ低迷しています。とくに昨年は全農から卸売へ販売されるコメさえも不足感が強くありました。そこで概算金を高めにすることで農家からの集荷を強化しようというわけです。

ところで、よく勘違いされること。このような高騰時には私らのような流通業者は儲かっているのだろうと誤解する人がいます。まったく冗談じゃない話で、卸売・小売業者は上昇分をそのまま販売価格にスライド転嫁できれば御の字で、ほとんどは価格転嫁しきれずに卸売・小売がかぶるわけです。日本のコメ流通では、この局面でニヤニヤしているのは生産者サイドだけです。

ついでに、これも勘違いしている人がときどきいるのですが、農家は流通業者に搾取されているという誤解。昔話の小作農のイメージが強いのでしょうか、あるいはフェアトレードコーヒーなどで語られる農産物の世界のイメージを日本のコメ業界にまで投影しているのでしょうか。こういう感覚でいる人によって、安易に6次産業化やら、米粉ビジネスやらの物語が語られていることもあろうかと思うと、ちょっと不安です。他の作物はどうか知りませんが、日本のコメ農家は西アフリカのカカオ農園の労働者やタイのコメ農家とは違います。JAや機械、資材の販売業者等はどうだか知りませんが、少なくとも流通業者が農家にたかるようなことはありません。

閑話休題。24年産の価格上昇にもどります。
確かに23年産はさまざまな段階での買占め、出し惜しみにより、1年間つねにコメが足りない感覚がありました。全農への集荷率が低かったため、どこへ行ったのか把握できないコメが多かったことも原因の一つだとは思います。実際、7月の時点で数百袋の在庫を倉庫に抱えていた農家も知ってます。現状では確かに、全農の集荷率が上がれば、コメの所在が把握しやすくなり、供給への不安が和らぐだろうと思います。

でも、私は、昨年に続くこの価格上昇が、コメ離れ、国産米離れを加速させることを危惧します。
たしかに10年以上前の水準と比べれば、今の価格も決して高いものではありません。しかし、消費者、とくに業務用の現場はここ数年の水準に慣れ切っています。というより、その水準で採算合わせるつもりなところも多いわけです。

一方、昨年の高騰からの流れで外国産米に対する抵抗も薄れているようです。西友での中国産米の販売や、松屋などの大手外食による外国産米使用で、一般消費者も偏見が弱まったと思います(米トレサ法による原産地表示の義務化も国内コメ関係者にとっては裏目、むしろ外国産米のアピールの場になってしまった気がします。)。実需者からのSBS枠の拡大への要求も高まっています。

となると、コスト重視の外食中食は、お高くとまった国産米に見切りをつけてくるでしょう。実際、カリフォルニア米を使用し始めた弁当工場は、品質には不満がある(クレームも出ているらしい)けど価格から背に腹は代えられないという感じです。今後、お客さんの舌も慣れて「これでいいや」と一度なってしまえば、よほど価格差が縮まらない限り元の国産米に戻ることはないでしょう。

こう思うと、JAやコメ農家の考えていることがよく判らないのです。ずいぶん呑気にも見えるし、あるいは目先に振り回されているようにも見えるし。今後、どのように海外のコメ生産者と競合していくつもりなのか読めないのです。また、彼ら日本のコメ農家に食糧安全保障を任せても大丈夫なのか!?と心配になります。

業務用の低価格帯は自分には関係ないと考えている農家もいるでしょう。自分たちが売るのは、付加価値の高いコメで、輸入米とはターゲットが違うというのでしょう。海外の富裕層に向けて販売すれば大丈夫だというのでしょうか。
それとも、あくまでもコメの鎖国政策は堅持させる自信があるのでしょうか。
それとも、食糧危機により現在の日本のコメの価格の水準が国際的にも決して高くない位置になる、とみているのでしょうか。

2012/04/19

【書籍】『コメ自由化はおやめなさい カリフォルニア日系農民からの忠告』(ネスコ)鯨岡辰馬


この本が出版されたのは1990年、GATTのウルグアイラウンドの頃です。タイトルにある「コメ自由化」とは、当時ウルグアイラウンドでアメリカ等から要求されていたコメ関税化のこと。今話題のTPPによる関税撤廃の話ではありません。
当時はまだ食糧法の時代。コメは政府がいったん買い上げてから、民間業者へ売り渡されるという流通ルートが原則でした。基本的にコメの輸入はなく、ミニマムアクセス米という言葉すらありませんでした。
その後、1993年の凶作によるコメ騒動、タイ米騒動、食管法廃止と食糧法への移行、関税化免除の代償としてミニマム・アクセス枠の設定、その後結局は関税化受け入れ、といったコメ業界の転換期がおとずれます。
これは、それよりちょっと前の時代の本です。

著者はカリフォルニア州にある国府田農場で長年にわたり支配人をしていた方です。
国府田農場で生産、販売されている「国宝ローズ」というお米は、在米邦人にはポピュラーな存在のようです。私も名前だけは聞いたことがありました(まだ食べたことはありませんが)。
最近は国宝ローズのライバルとして、同じくカリフォルニアで栽培される短粒種の「田牧米」というブランドも登場し人気が出ているようです。

さて、本書の内容ですが、
第1章「コメの貿易自由化に疑問あり」でコメ自由化反対の主張、
第2章「日本の移民がコメを作ってきた」で国府田農場の歴史、筆者の経歴、
第3章「カリフォルニアのコメ作り」で現地での栽培方法のあらましなど
と構成されています。

「自由化はおやめなさい」の理由

第2章、第3章も面白いのですが、ここでは第1章だけ紹介します。

当時のアメリカが日本にコメ市場の開放を迫る理由について、筆者はつぎのように分析します。
アメリカのコメは輸出商品であり、世界市場の動きに反応しながら生産を続伸させてきた結果、コメあまりの状況になった・・・・・・。
その時期にちょうど、お得意先の東南アジアで自給自足体制がととのい、さらに値段の安いタイ米が出回り、世界市場を蚕食された・・・・・・。
アメリカはやむを得ず国際価格に合わせてダンピングし、生産調整のために減反政策をとった・・・・・・。
そこで補助金など財政支出が増加し、新しい市場の開拓に迫られた・・・・・・。(p.43)

そして、自由化論者の主張する自由化のメリットに疑問を呈します。
・・はたしてコメ自由化論者のいうように「安くておいしい米」が安定供給されるのだろうか・・ (p.44)
つづいて、この疑問について検証されていきます。
要約すると、
  • 「日本人の口に合うコメ」という条件には、ミシシッピー川周辺の南部のコメでは話にならない。カリフォルニア米に限定される。
  • カリフォルニアは水事情がわるく、安定供給はむずかしいだろう。
  • アメリカ製の輸入缶ビールも、日本国内ではアメリカよりもかなり高い価格で販売されている。輸送コストや流通マージンのためだ。カリフォルニア米が日本で販売されるときも、そう安くはならないだろう。
  • アメリカ国内でのコメ価格は日本国内の値動きと比べて激しく上下し安定しない(当時は食管法の時代で、日本国内には政府による強力な米価支持があった)。
  • アメリカのコメ農家はコメについての知識に乏しく、品種に対する感覚も日本人からすると信じられない位に適当。
  • 文化の違いもあり、アメリカ人は日本人のようにコメのデリケートな味の差を区別しない。
そして、
やがては、日本人はまずいコメを高い値段で押しつけられるのではないか。私は、そんな気がするのです。(p.65)
と、危惧しています。

出版から20年以上が経った現在、状況もすこし変わりました。
海外でもコシヒカリやあきたこまちなどの品種が栽培されるようになったり、消費者の舌も他国の食文化を楽しめるほどに成熟したり、当時よりもさらに円高が進んだり、日本の輸出産業はかつての勢いを失い、貿易摩擦が話題になることもなくなり、国際的な相場にくらべれば安定しているとはいえ国内の米価もかなり上下するようになったり・・・。
ここで語られている「自由化するべきでない理由」も、現在では意味が薄くなっているものも一部あると感じられます。
しかし今も変わらず重要なのは、食糧安全保障の観点です。海外にすっかり依存してしまうなら、それこそ「まずいコメを高い値段で押しつけられる」おそれがあります。石油もそうですが、ライフラインに関して売り手の言い値をのまざるを得ないのはつらいことです。

前原誠司氏が1988年に書いた報告書

1章の締めくくりとして、筆者の上記主張に対する批判が2つほど紹介され、それらへの再反論が展開されます。
その批判のひとつのが、
【松下政経塾第八期生編集・発行『海外研修報告署 - 日米摩擦の本質を探る』88年、「アメリカからの検証 - 牛肉・オレンジ交渉に学ぶコメの自由化問題」前原誠司】
このレポートに対する鯨岡氏の不満は、FRCやRGAといった精米業者を農協のような存在と前原氏が誤認している点や、業者への一面的な取材だけで彼らの誤った発言をそのまま材料としている点などです。
しかし、報告書自体については、
この報告書は、なかなかよくまとめられていて、それなりに読みごたえのあるものでした。筆者は若い人だと思いますが、分析も鋭く展開も巧みで、私など及ぶべくもなく、大いに敬意を表したいと思います。これが非売品で一般の目に触れにくいのが残念です。(p.85)
と、高く評価しています。

また、報告書を引用しながら、こう紹介しています。
・・・報告書はこのあと、「ワシントンでの動き」「今後のアメリカの戦略」「日本のとるべき道」と展開していますが、終章で筆者は、主観的で短絡的だとの批判を受けるかもしれないがと断りつつ、
〈・・・私の立場は、国土保全、食糧安保、そしてコメの持つ文化的な要因から、日本のコメ生産者には生き残ってもらいたいというものだ。・・・〉
と、心情を述べています。完全自由化で日本のコメ農家が生き残れるかどうか疑問であるから、少しの輸入枠を設けて「皮を切らせて肉をたつ」(原文まま)のが望ましい方法だ、日本は自国の立場を正々堂々と主張すべきだ、という結論には、多少の検討の余地をのこしながらも、私は拍手を送りたいと思います。(p.95)
それから20数年が経って、この報告書の作成者は「もちろん、われわれも農業は大事だと思ってますが、TPPに入ろうが入るまいが、日本の農業はもはや曲がり角なんです。」 という心情に達するのです。

2012/04/14

消費者委員会が議論するお米の表示・・・

内閣府消費者委員会の食品表示部会では「未検査米の品種・産年表示義務化」と「砕米・ふるい下米の混入率の表示義務化」が議論されています。3月28日の第17回会合を報じる業界紙によると「砕米」の混入割合については表示義務付けの方向になりそうだが、その他は見送られる雰囲気だと伝えられています。

今のところ第17回会合の議事録はアップされておらず、詳細はわからないのですが、その前の回、2月20日の第16回会合の議事録がアップされてました。

想像していたとおりで、どうも話が噛み合っていません。
途中、委員の一人からはこんな発言もでるくらい。
要するに、何を議論してほしいかがわからないのです。現状がどうなっていると言われても、今、調べた段階ではこうですということを我々に漠然と言われても、これは全体の表示の中で私がどれだけ重みづけて言うべきなのか、そういうことがわからない。今後はそういうことも含めて検討されるのですか。(鬼武委員)

また、米業界の片隅に身を置く一人として、普段は全農に対していろいろ思うところもある私ですが、今回ばかりは全農代表委員からの発言が至極まっとうに感じられてしまいました。

ふるい下・砕米

まず、砕米・ふるい下(くず米)の混入についてですが、普通はわざわざ入れることはありません。
そもそも、なんで精米ラインに篩その他の選別機があれほど組み込まれていると思っているのでしょうか?スペースを犠牲にし、清掃の手間が増え、ランニングコストが高くなるにもかかわらず。生産者サイドが選別した玄米をただ精米しただけじゃ商品として出せるシロモノにならないからです。
また、主食用米全体の消費量とくず米・中米の発生量、加工用の需要量等の関係を考慮すれば、中米混入自体が限られた価格帯での特殊なケース(で使えるほどの量しかない)であり、従って消費者保護の観点からもプライオリティの高くないテーマであると思われます。

あえてくず米を混入するケースは、とにかく価格を抑えた業務用かディスカウントストアやドラッグストアで売られている激安品くらいに限られるでしょう。業務用の場合は、相手もプロですから内容と価格のバランスについて納得した上でのことでしょうし、炊飯において食べるお客さんも納得できるレベルに仕上げることでしょう。ディスカウントストアの激安米も、値段なりのものだって普通わかるはずですよね。実在の消費者は消費者団体の方々が想定している(理想としている、あるいは都合のいい?)消費者像よりも賢いと思いますよ。

ただ、もしも虚偽の表示がされているならそれは別の問題ですが。例えばこれ(くず米をコシヒカリに偽装「まずい」と苦情 東京の業者3人逮捕  - MSN産経ニュース)など。謳い文句と内容に矛盾があるケース。一部の委員などはこういう悪質なケースが頻繁に生じていると思いこんでいるのかもしれません。
でもこれはくず米の混入率や3点セットの表示義務化とは別の問題。虚偽表示の問題です。また販売者名として、勝手に実在する米穀業者の名称が無断使用されていたわけで、もう偽ブランド品と同じレベルの事件です。
また上記の事件では、仕入れたディスカウントストアも、当時の新潟コシの相場からみた240円/kgという単価の不自然さや、商品の内容からも疑ってしかるべき、食品販売のプロなら判らないのは恥でしょう。
いくら表示する内容をいじくりまわしても、嘘をつく者は嘘をつく。むしろ、農産物検査などによる第三者の確認なしにさまざまな表示ができるとなれば、こういう連中にさらに嘘をつきやすい環境を与えるだけです。そういう連中を排除する仕組みとか、仕入れる側にもある程度責任を持たせるなど、嘘をつくハードルを高くする必要があると思います。

また、このような質問がありましたが、
○青柳委員 先ほどの迫委員の質問と似ているかもしれませんけれども、資料2のグラフなんですが、砕粒と価格の相関関係なんですけれども、このばらつきを見るとほとんど関係ないという感じなんです。そうなると例えば消費者の方は例えば0%のものと15%のものが同じ価格でずっと並んでおりますが、全くわからない状態で買っているという状況になってくるわけです。それと、こんなに実際に差が出るんですか。そこら辺をお聞きしたいと思っています。
そもそも、低価格米の理由はくず米の混入率だけじゃないでしょう。古米であるとか、未検査米だとか、米自体の食味が悪いとか、見てくれが悪いとか、中途半端に余った米(端米)のブレンドだとか、在庫処分とか・・・。

未検査米の品種・産年表示、複数原料米の詳細の表示

現在、品種と産年を表示できるのは農産物検査を受検したコメに限られています。
ここでの議論のひとつは、農産物検査を受検していないコメについても、産年・品種の表示を義務化するべきか、です。
もうひとつは、複数原料米について、原料玄米の品種・産地・産年の内訳の記載を義務化するべきかという議論です。
これは業界の意見と消費者団体の意見が噛みあいません。
【資料3-4】 産地・品種・産年表示等に関する関係者意見一覧 (PDF形式:170KB)の内容も含めまとめてみました。

表示を義務化するべきだという消費者団体側は、

  • 米トレサ法の伝達を根拠に表示すればいい。
  • そもそも目視検査や生産者の自己申告に基づく農産物検査では根拠とするには弱い。
  • 農産物検査でつけられた等級が精米のJAS表示では消費者にわからない。
  • 「複数原料米 国内産 10割」の表示では消費者の知る権利をまもれない。

3点セット表示は困難だとする業界側は、

  • 農産物検査に代わって内容を担保するものが現状存在しない。米トレサの伝達では担保として不十分で、それを根拠にするならば虚偽表示が横行するだろう。
  • 生産者から提出される書類やその他の状況を加味して行う農産物検査はそれなりに信頼性がある。
  • 複数原料米として販売している商品は内容が都度変わることが多く、表示するのは非現実的。

私の考えです。
まず、米トレサ法の伝達は根拠として十分か?
私は嫌ですね、気味が悪い。
よく知っている生産者から直接買ったとか、まあ間に1人くらい入ったとしても出所がよく判っている場合ならいいのですが。
例えば卸売業者から仕入れた未検査米、袋には何の表示もなく、ただ産地・産年・品種が伝票に書いてある。これはどこの誰が確認したのか?卸売業者もどこぞの集荷業者の伝票に書いてあることを写しただけ。これで、表示を義務付けさせられるのは、気持ち悪いですね。
まあ、販売者が責任持てる範囲でなら「未検査」の旨併記で記載してもいいという程度なら理解できますが、義務化はおかしいでしょう。
また、義務化となった場合、それこそH23年産魚沼コシヒカリに、同じく魚沼コシの中米・規格外を混入させている場合は、「単一原料米 魚沼 コシヒカリ H23」という表示が義務付けられることになるでしょう。

農産物検査について。
農産物検査も大抵は地元のJA職員が行っています。種もみの購入、栽培履歴などの書類だけでなく、実際の田んぼの位置や作業の状況まで丸見えです。また近所の目もありますので、この時点で品種について嘘をつくことは難しいでしょう。
少なくともトレサ法の伝達よりは頼りになります。
会合では次のような発言もありました。

○夏目部会長代理 私は米を栽培している生産者の立場と、皆さんのように米を消費する消費者の立場で見ますと、先ほどたびたびお話が出てきますように、お米を栽培して販売をしていくまでは信用取引だと思います。栽培履歴を私たちは一生懸命書きますけれども、それはあくまでも自主申告でありますし、トレーサビリティの根拠になっているのも自主申告なんです。農薬の使用状況も全部自己申告です。そこでもって、それが信用できないということになりますと、全くそれは取引ができない、生産もできない状況になるというのが、これは生産者の現場で申し上げたいと思います。
勿論、米を栽培するときに全く独立して、自分1人だけが例えば人の介在しないような場所でつくるわけではありません。多くの生産者の中で水田というのはあるわけですから、つまり地域の中ではだれがどの段階で例えば農薬を使い、どこの水田、圃場でどの品質をつくっているかというのは一目瞭然なわけです。そういう中で皆さんは一生懸命つくっているということを御理解いただきたいというのが生産者の立場です。
コストと信頼性を考慮すれば、現時点では農産物検査を唯一の表示の根拠にするのがベストではないかと思います。ただ、農産物検査を行っているのがほとんどJAであり、JAに販売委託しない農家は受検しにくいという状況は改善の余地があるのではないでしょうか。JAに委託しない生産者も受検しやすい環境が必要だと思います。

等級について。
ハッキリ言って、等級は原料玄米を精米に加工する米屋、精米業者のためにあるもので、消費者のためにあるのではないと思っています。
消費者にとっては、商品として手にする精米が食味・鮮度・安全性・価格など諸々の観点から見て納得できるものに仕上がっていることにこそ意味があるわけです。精米業者にとって玄米は商品を作る原材料です(このことはブレンド米はもちろん、単一原料米においてもそうです。)。その使い勝手とか歩留の善し悪しによって原料の価格に差が出るのは当然だし、そのための基準も必要です。
また、農産物検査の等級は外観検査だけだと批判する方々もいますが、外観と食味にはある程度の相関関係があると経験から感じてます。そもそも、外観に問題が生じているということは、何らかの問題(栽培技術の未熟、管理の懈怠、生育不良、倒伏、害虫の食害、病気など)があったことをほのめかしているわけですから。
ついでに書きますが、精米する立場から見ると1等の基準って結構低いです。ギリギリ1等に引っかかった玄米は、かなりモノが悪いです。同じ1等でも上の方と比べると、物凄く、大きな差があります。1等での上下差があまりにも大きいので、1等よりも上の等級、例えば「特等」なんてあればいいな、と思ってるくらいです。
ただ、山浦委員が発言しているように、白米においても消費者に示す等級のようなものが必要だろうと思います。とくに購入時に現物を目視できないネット等での取り寄せほど、より必要とされるでしょう。その基準設定の際に考慮されなければならないポイントは多数あり、くず米、砕米の混入率だけの話ではありません。

複数原料米の内容の表示について
【資料3-4】 で主婦連合会は複数原料米について次のように意見しています。

「複数原料米・国内産・10割」との簡略表示が許されていることにより、国内産であれば古米、古古米、ふるい下米、餌米、加工用米、米粉用米を混入しても無表示で良く、違法にならないのは不合理です。
まず気になったのは、餌米、加工用米、米粉用米を主食用に使うのは単一原料米だろうが複数原料米だろうが違法なのじゃないでしょうか?これは複数原料米の表示の仕方とは別の問題でしょう。
また、より詳しい内容が判らなければ嫌だというのなら、このような表示の商品を避ければいいだけの話だと思います。

全体の感想

文字で読んだ限りでの印象ですが、それぞれが代表して出てきた団体の主張を言い合うばかりで、相手の意見を理解しようとする雰囲気が感じられませんでした。何のために顔を合わせて意見交換しているのか。
また、一部の委員の方々は木を見て森を見ていないのではないか、というのが感想です。はたしてそれが消費者にとって意味があることなのか、利益になることなのか。自分たち団体のプレゼンスを高めるのに、この場を利用しているだけじゃないのか?と邪推したくもなります。

未検査だろうが複数原料米だろうが、とにかく表示をさせろって感覚は理解できません。虚偽表示が頻発することでしょう。表示制度そのものが信頼できなくなってしまいます。

しかし、そもそも3点セットの表示だけでお米を解ろうとする安易な感覚がいつまでも蔓延してるのがおかしなこと。そろそろ、そこを疑ってもいいのじゃないでしょうか。

2012/04/04

お米の表示について思うこと その2

以前、内閣府消費者委員会の食品表示部会で議論されている「未検査米の産地・産年・品種表示」「低品質米(くず米)使用の表示」の義務付けについて疑問に思っていることを書きました

その後3月28日に第17回会合が開かれたようです。以下、リンクを張ります。

消費者庁から論点整理が提出され、それに基づいて「品位の表示」、「未検査米の品種・産年の表示」、「複数原料米の産地・品種・産年の表示」の義務化について意見交換がされたようです。

とりあえず
  • 現時点では農産物検査に代わる第三者機関による証明方法がなく、それによらない(米トレサ法の範囲での)品種・産年表示義務化は困難 
  • コストや内容の流動可能性から複数原料米の内容の表示義務化は非現実的 
  • ふるい下米の表示義務化は困難だが、砕米の混入率は表示させるべき 
という方向になるようです。

未検査米、複数原料米の3点セット表示

未検査米の表示義務化、複数原料米の内訳表示義務化が非現実的なことについては、なんとか認識されたのでしょうか。
4月2日付「商経アドバイス」紙の記事によると、
また、米トレサ法の拡充による品種・産年の表示が厳しいことが示された消費者代表委員は、「食品表示部会の親委員会である消費者委員会を通し、農水省等に米トレサ法がこのままでいいのか問題提起していきたい」と語り、食品表示部会とは別に米トレサ法での活用に路を開いていく考えを示した。(「商経アドバイス」2012年4月2日)
とのことですが、どうも米トレサ法を過大評価しているように思えます。

とはいえ、私は、販売者の責任において、未検査の旨を併記してなら品種・産年を表示してもいいくらいには思っています。すぐ近くの生産者からの仕入で圃場もよくわかっていて信用もできる場合など、販売者の責任で表記できてもいいのではないでしょうか。
しかし、「義務化」というのは、何か間違っていると思います。

ふるい下、砕米

「ふるい下」と「砕米」って知らない人にはイメージがつかみにくいと思います。

お米は籾摺りのあと、未熟な米を取り除いて粒を揃えるためにふるいにかけられます。そのふるいの幅ですが、小さいもの(基準が甘いもの)で1.8mmくらいから、大きいもの(厳しいもの)で2.0mmくらいです。1.8mmを使ったほうが歩留りはよくなるのですが、さらに粒揃いのよい仕上げを求め、他との差別化やブランド化を狙う生産者や地域ではより網目の大きなふるいを使う傾向にあります。このとき下に落ちたのが「ふるい下」。いわゆる「くず米」です。
例えば2.0mmのふるいで下に落ちたくず米を、再び1.7mmとかのふるいにかけて選別したものなどが「中米(ちゅうまい)」なんて名称で呼ばれています。主に取り扱うのは「特定米穀業者」と呼ばれる業者です。また、生産者や生産者団体がそれを農産物検査に出し、「規格外」として品種・産年・産地の証明を受けて出荷することもあるようです。
外観は薄っぺらくて色も青かったり白かったりの未熟な感じで、パッと見、米と言うよりも鳥の餌ってイメージです。もちろん、米であるのは確かなんですが。
ディスカウント店で売られている激安米を見ると、妙に薄べったくて白く濁ったのがありますが、おそらく中米、規格外がメインで作られているのでしょう。

「砕米」は文字通り、砕けたお米。上記のふるい選別の時にも分別されますが、精米するときにも発生します。割れる原因としては刈り取り前に稲を倒してしまったとか、収穫後の乾燥に問題があったとか、保管や運送時の温度・湿度が適切でなかったなどです。もともとの米質が軟らかく精米時に割れやすいものもあります。
しかし、この砕米をコストを下げるためにわざわざ混入する業者が、果たしてどれほどいるものかと疑問に思ってます。
コスト低下の効果を出すには、ある程度の高い割合で混入しないとならないでしょうが、それでは外観からも炊きあがりからもクレームは必至でしょう。いくら低価格米の要望が強い業務用といっても、炊飯での歩留りが悪くなるほどであれば本末転倒ですし。

砕米の表示

報道などによりますと、「ふるい下米」の混入の表示は見送られそうですが、「砕米」の混入率は表示することになりそうです。
ただ、砕米ってのは上記したように、中米みたいに意図的に使用するケースってのは稀だと思えます。ほとんどが意図しない混入で、それをパーセントで表示してどれだけ意味があるのかな、と。
これも結局、精米業者、販売業者の自己申告ですから、農産物検査の等級付けとは全然違ったものですが、消費者委員の方々はどうイメージしているのでしょうか。なんか現実と委員の方々のイメージするものとの間に大きなギャップがありはしないか気になります。

中米にしても、それを使うのは一般向けならディスカウントストアやドラッグストア向け激安品、スーパーであれば特売品ぐらいで、あとは外食・中食向けの最安価格米でしょう。
まあ、激安量販店で売られている廉価品は、そりゃもう、中米・くず米で出来てるのが見てすぐに確認できるくらいのモノですが、その代わり価格も内容と釣り合うくらいに安いです(10kg2,000円台前半とか)。内容がそれなりのモノだってことは社会常識の範囲で識別できるレベルで、表示云々以前の話だと思います。そもそも、砕米や中米の混入を気にする人はそんなお米を買わないし、買う人はそんなことは気にしてない或いは納得ずく、ということでしょう。

思うに・・・

ただ、店頭で買う場合はこう言えても、問題はインターネット等での通販でしょうね。
お米を販売しているサイトでは美味しそうに炊けた御飯の写真がよく載ってますが、いろいろ見てると別のサイトでも同じ写真が使われてたりして・・・。売ってる商品そのものの写真ではなくて、どっかから買ってきた写真を載せてるわけですね。販売するお米そのものの写真をきちんと掲載しているお店もありますが、多くのサイトが載せているのは単なるイメージ写真に過ぎないです。
また、ネットでは米のことも全然わからないような素人が販売していることもあります。先日、地元の他業種の会社が運営している通販サイトを見てたら、地元スーパーで3,700円くらいで売られている県内の某卸売業者がつくった商品が5,170円送料別で売られていて苦笑しました。まあ、うちの県内でしか作られていない品種で他所の人には珍しいかもしれませんが・・・、食味はイマイチなので地元では人気ない品種なんですよね。米屋ならプライドが邪魔して、出来ないことです。
でも、これはまだマシなケースだと思います。お米って乾燥していて少々保存が出来てしまうために、これが食品だってことを忘れてるのじゃないかって業者もいますから。適切な温度、湿度で清潔に保管してても、時間経過と共に劣化は避けられないものですが、どうも甘く見ている人々もいるようで。
ネット販売こそ消費者に誤認をさせるようなまやかしに溢れているわけで、いかにすれば商品の実際や販売者の実態についての情報を消費者が正しくつかみとることが出来るか、その仕組みづくりのほうが有意義なんじゃないか、と思います。

ところで、2月20日の第16回会合の議事録もネットで公開されていました。こんど改めて、その感想も書こうと思います。

2012/03/26

最近の「6次産業化」って何を目指しているのだろう?

「コメ」あるいは「農」にまつわる問題が話題になるとき、二つの異なる問題がごっちゃにされがちな気がします。
一つは、産業としての農業。各戸が順調に経営でき、税を納めて、国民の需要を満足させ、さらには輸出も可能な農業。どうしたら、そうできるのかという問題。
もう一つは、農村、農家の存続。消滅していく集落、継ぎ手のないイエ、地域の特色ある伝統文化をどう守るのかという問題です。

わたしは、これら二つは相反するものと考えています。一方を満足させるには、一方を犠牲にするしかない。
これまでの農政はどちらへも中途半端に応え、バランスを取りながらやってきた。騙しだましに、問題を先延ばしてきた、とも言えるでしょう。どちらかが完全に犠牲になることもなかったけど、どちらの問題も解決されていません。

このように農政を認識しておりますので、近年の「6次産業化」ブーム、国の支援などについても、これまでのモラトリアムの延長くらいに捉えていました。
そんな先日、業界紙「商経アドバイス」紙で気になるコラムを読みました。
曰く、「餅屋さん」が集まる懇親会に参加したところ、「6次産業化」が話題になったが参加者は一様に怒っていた。なぜ怒っていたかというと・・・
◇公平な競争で負けるのならば文句はないが、ライバルたる農家は補助金付き“特別待遇”での6次化展開。だが、もち米・餅・和菓子を知り尽くした「プロ中のプロ」である彼らが本当に憤っていたのは、そこではなかった。本業の彼らから「餅の神様」と呼ばれる社長いわく「農家の手作り餅というイメージだけで売れるのかもしれないが、餅のことを何も知らず、深く学ぼうともせず、薄っぺらな製品が多い。本当に良いものを作ろうという気があるのか疑いたくなる。やるなら本気でやれと言いたい」。 (「商経アドバイス」2012年3月12日「時の声」)
そして、もし6次産業化というものが補助金付きで「悪化が良貨を駆逐する」ものならば、餅屋さんだけでなく消費者や米穀業者にとっても願い下げだろうと締められています。

ここ数年のブームに乗り遅れまいと無理やり企画したような薄っぺらな6次産業化がらみの事業ってありがちですね。
もちろん、素晴らしいモノ、サービスを提供されているところも多々あります(20年、30年とブームに関係なく取り組まれているところも沢山あります)が、全体として見て補助金を含めたこのお祭り騒ぎが価値ある何かを残すとは考え難いです。これらの事業が国民の食を支えるなんてことは考えられないし、地域経済にどれだけ意味があるかも疑問です。
補助金をつぎ込んで、なにを目指しているのかよくわかりません。

補助金もらって稼働率の低い中途半端な機械を買い込んで、規模に比して過剰な数の人間が絡んでくる。スケールの小さな(採算取れないだろうと想像される)主体が、わさわさと数ばかりは沢山。
それぞれが独自に設備を持ち、経費を負担する。

今後、あまたある事業の中から、真に成功事例といえるケースも出てくるだろうとは思います。いくつか成功例が出てくれば、それでヨカッタということなのかもしれません。
私が子供のころは小さな食品メーカーが多数ありましたが、競争、淘汰により衰退しました。6次産業化認定のリストを見てると、そのような有象無象の小規模メーカーの群雄割拠をちょっと連想したりもします。ここで競争が起きると面白いことが起こるかもしれませんね。
ただ、全員の「共存」が農業界の譲れないテーマである限り、それはないのかもしれませんが。

結局、今の雰囲気からは、6次産業化=「農業では抱え込めない農村の過剰な労働力を、とりあえず世代交代でそれが消滅するまでの時限的な受け皿」って印象をもってしまいます。
しかし、農家、農村はこれで儲けられなかったとしても、建物、機械設備、コンサルティング、ブランディングなどで関係する人たちはきちんと儲けているのでしょうね・・・。

2012/03/15

お米の表示について思うこと

ほかの食品同様、お米もJAS法に基づいた品質表示を義務付けられています。

この内容やルールはときどき改正が行われるのですが、それが必要で適切な改正なのか、そもそもこの表示自体が消費者のために十分なものなのか、果たして意味のある必要なものなのか疑問も感じております。
しかし、モノを知らないが声ばかり大きい人の意見が通ってしまい、それに振り回されるのだけは勘弁してほしいと思っています。


「玄米及び精米品質表示基準」

小売されている玄米・精米には一括表示欄がつけられ、原料玄米の産地・品種・産年、精米年月日、内容量、販売者が記載されます。
このうち特に、原料玄米の産地・品種・産年は3点セットと呼ばれ、農産物検査法による検査が表示の根拠になります。
一方、この農産物検査の受検は任意でして、受けない玄米は未検査米として流通することになりますが、玄米・精米の小売段階で上記3点セットの一括表示欄への記載が出来ないほか、パッケージのその他の部分への記載も禁止されています。
しかし、未検査であろうと、どこかの土地で、特定の時期に生産されたものには違いありません。
昨年から米トレサ法との整合性のため、「産地未検査」の文言を併記という条件付で、産地の記載が認められました。


3年前の改正

ところでこの「玄米及び精米品質表示基準」は、3年前の平成21年に改正されました。詳しくはリンクをご覧いただきたいのですが、何が変わったかと言えば、
  • 単一原料の場合(ブレンド米じゃない場合)は「単一原料米」の文言を記載する。また従来は使用割合欄に「100%」と表示していたが、使用割合欄をなくす。
  • ブレンド米の場合、従来は「%」で表わしていた原料の割合を「割」で表示する。
まあ、この意図も理解できんこともないのですが・・・。これ、わざわざ変える必要があったのでしょうか?お客様が受け取る情報に、なんの違いがあるのでしょうか?
前回の改正が平成14年、それから何年も協議をした結果、これですか?
あちらこちらの事情や都合をまとめると、こういう結果にならざるを得なかったのでしょうが・・・。

この効果の分からん改正のために、これまでの一括表示欄が印刷された米袋はそのままでは使えなくなりました。また、単品とブレンドの場合では一括表示欄が異なり、袋の使い回しが出来ず、別々に用意しなければなりません。
米袋ってのはまとめて発注すると単価が安くなるので、5年分とかストックを持ってた同業者もいて、当時ショックを受けていました。


「未検査米の3点セット」および「くず米使用」の表示義務化?

ところで、こんな記事がありました。引用します。
くず米:消費者団体、含有率表示を 格安米1割、業界基準上回る - 毎日jp(毎日新聞) 
毎日新聞 2012年2月29日 東京朝刊
ディスカウントストアなどで売られる格安米に含まれる、砕けた米粒(くず米)の割合を消費者庁が調べたところ、約1割が業界の定める品質の基準値を上回っていたことが分かった。同じ値段なのに含有率が高いコメも低いコメもあり、消費者団体はくず米の含有率の表示の義務化を求めている。
調査の対象は11年11月~12年1月、関東と関西の小売店やネット上で売られていた200点の格安米(主に1キロ300~400円の品)。米穀公正取引推進協議会は精米のガイドラインで、くず米の含有率を8%以下としているが、17点が8・5%以上だった。最も高いものは25%だった。
この商品は1キロ250円だったが、ほぼ同じ値段で含有率が3%の商品もあった。価格と含有率に相関関係がなく、価格が品質を見極める材料にならないことが分かった。
くず米は精米工場で通常の大きさの米とふるい分けられ、みそ用や米菓用などで出荷される。その後の運搬や劣化などによって米が欠け、通常の食用米にくず米が混じることもある。くず米の含有率の表示は法律で義務づけられておらず、多くは「国産100%」や「(銘柄名)100%」などと表示されている。
くず米の問題に詳しい秋田県大潟村農業委員の今野茂樹さんは「故意にくず米を混入させ、米の量を増やしている業者もいる」と指摘する。11年7月にくず米を混ぜた米を新潟産コシヒカリ100%と偽装して販売したとして東京都の男が不正競争防止法違反容疑で逮捕される事件もあった。
主婦連合会の山根香織会長は「食味を損なうくず米の含有率が区別できない状態で売られていることは問題だ」と指摘。NPO法人・日本消費者連盟の山浦康明事務局長は「識別できるような表示を検討すべきだ」と話している。【水戸健一】
また、内閣府消費者委員会は2月20日の食品表示部会で「未検査米の産地・産年・品種表示」と「低品質米(くず米)使用の表示」義務付けに向けて推進していく方針を出したとのことです。



まあ、くず米を意図的に混入したり、あるいは価格や商品の謳い文句に比して砕米の含有率が高かったりするのは問題だと思います。また、JAS表示と矛盾する内容なら、それは論外でしょう。
 しかし、米自体が柔らかく砕米が発生しやすいけど食味は優れた米もあるし、産地の出荷前のふるいによっては1等ついてても粒が揃ってるとは言い難いものもある・・・というのが現場の感想です。また、砕米が多くてもいいから安いのが必要だという人もいます。

できるだけ、相談したり信用できる店で買ったり、量販店で買うなら中身の見える袋を選んで自分の目で確かめ、舌で確認して知識、智恵を付けていくというのが本筋じゃないのかなと思います。
本来、「食育」(僕はこの言葉あんまり好きじゃないんですが)ってこういうセンスを養うことなんじゃないでしょうかね、印刷された表示の読み取り方に長けるのじゃなくて。

また、未検査米の表示の方については、販売者が責任を取れる範囲で、任意で(メリット表示として)記載することを認めてもいいとは思うのですが、これの義務化を主張するのはあまりにも非現実的、想像力に欠けた妄言だと思うのです。
もし、産地を気にするのなら、内容の不明な複数原料米を避け、都道府県名が表示がされた品を選択すれば済むことではないのでしょうか。
義務化のデメリットについては、上記「週刊ライスビジネス」から引用します。
未検査米の中身を表示せよ、と言っても、非常に困難。嘘をつけ、と言っているに等しく、これが実行されれば却って消費者被害が増えるのではないか、と心配される。 
まだ現時点では内閣府のサイトに議事録がアップされてませんので、具体的な議論はわからないのですが、このような誰のためか分からない主張で存在をアピールしなければならない方たちの集まりなのでしょうか。(※その後アップされました。

農産物検査についてや、自分の感覚よりもブランドにたよる消費者の姿勢など、まだ書きたいこともありますが、ちょっと長くなってしまったので、それはまたの機会にします。

2012/03/14

【書籍】『贈与米のメカニズムとその世界』(農林統計出版)松本裕子


縁故米、贈与米などの言葉をご存知でしょうか。農家が商品としてではなく、無償または低廉な価格で知人等に分けるお米のことです。
この縁故米は年々増えていると言われているのですが、米屋にとってはその実態がわかりにくく不気味な存在でした。本書は特に生産者から無償譲渡される「無償譲渡米」にスポットを当て分析したもので、非常に興味深いテーマです。

本書によれば消費量の1割近くが無償譲渡米とのこと、改めて量の多さに驚きました(2012年2月9日の新聞記事「絆消費がコメ流通を変える? 縁故米の比率が3割に  :日本経済新聞」ではなんと3割とのこと。)。MA輸入枠が77万トン、それと大差ないわけです。MA米は生産者価格に影響しないようにその大部分は加工用として輸入されていることを思い起こしても、無償譲渡米の規模と価格への影響力は無視できないはずのものです。

本書ではコメ生産構造の違いで地域を分類し、その両極端にある千葉県と新潟県の農家にヒアリング調査を行なっています。
そこから見える共通点は、無償譲渡米は傍系の親戚や知人への挨拶としての贈与と、家を出た子供への贈与の二種類があること。特に量的に重要なのは子供への贈与です。これは、元来は自家飯米として消費していた分が子供の独立により外部化したものと言えます。さらに孫の誕生などで子供の家の員数が増えるに従って譲渡量も増えていくとうわけで、これは生産者が高齢であるほど無償譲渡量が増えることにあらわれています。
それを思うと、農家戸数250万、そこが1戸あたり4人くらい外部化した家族消費があると考えれば、国内消費量の1割近くの無償譲渡米があることも、そりゃそうだろうなと思えてきます。
しかし、農家戸数は過剰なんだなと改めて感じざるを得ません。生産量の1割が生産者の家族によって消費されているなんて・・・。

また、本書では無償譲渡米の存在する理由として、農家経済の二重性をあげています。
農家の自家労働力は、
商品生産労働としての価値を生産する社会的労働部分と、自給生産労働としての使用価値を生産する私的労働部分から成る。(p.61)
としていますが、無償譲渡米は
自給生産から派生する、農家の血縁的関係を核とした資源配分である。 (p.64)
と語られています。

本書でも、
問題は結局戦後日本の農業が一貫して農業における自家労働力の「社会的労働力」を、食管法下での米価スライド式値上げといった政治的方策以外に、正当に評価する経済原理を持ち得なかったところにある。(p.64)
と、指摘されていますが、 この農家経済の二重性は色々な意味で、とくに農政において軽視され過ぎてきたのではと感じます。
また、農業には多くの公金が注ぎ込まれてきましたが、その1割近くがプライベートな消費へと向けられることも気になります。

本書ではさらに、コメ生産の二極化の影響や今後の無償譲渡米の展望などについても書かれています。コメに関わる方、この面妖なる縁故米という存在について理解を深めたい方へお勧めします。

2012/03/13

【書籍】『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』(日本経済新聞出版社)川島博之



過剰な農家戸数と生産量が今のコメ問題の本質だと感じている私にとって、非常に共感もし、参考となる本でした。

私は「過疎化対策で農業再建する」とか、「産直や6次産業化で村おこし」などの言葉を聞くと、なんか違和感を感じます。
農業問題であろうが農村問題であろうが、そんなのなんの解決策にもならない。そのことを理解していながら補助金やコンサル料などの付帯するカネの動きを目当てにテキトーなことを言ってる人もいれば、本当に信じてしまっている人もいます。

解決しにくい問題を抱えている人に対して、一見解決策になりそうに思えることを提示して商売にする人がいます。悩める中小企業経営者の周りには、そんな胡散臭げな人たちが寄ってくるものです。曰く、SNSでセルフ・ブランディングだとか、コーチングで売上倍増とか、異業種とコラボするための名刺交換会だとか、まあいろいろとネタをつくってはセミナーやパーティーをいっちょまとめてって感じで・・・。夢を見させてカネを巻き上げようって悪人もいれば、仕掛けてる人自身も本気で信じちゃってる場合もあるわけです。

で、悩める農村もそれと同じように思えるのです。
地域のみんなで集まってイベントを楽しむ程度の認識なら別にいいのですが、そこにもし農業振興の名目で補助金などの公金が使われたりするなら問題があるケースも出てくるのではないでしょうか。

さて、本書の主張の前半は、
  • 人口爆発が食料危機をもたらすことはない。むしろ、食料生産が向上するから人口が増加するのであって、食料が足りなければ人口は増えない。過去の歴史で人口が急増したのは、新大陸発見などによる農地の増加があった16世紀と、化学肥料の普及により単収が増加した1950年以降である。
  • 現在、飢餓ないし栄養不足の原因は紛争、政治的混乱、貧困である。食料の絶対量が足りないのではない。フリーターでも生きていけることが食料の過剰を示している。
ということです。

さらに後半、国内農業に関して、
  • 農業人口は減少し、農民は高齢化しているが、それでも充分な生産が出来てしまっている。過剰な生産によって農産物の価格が低迷していることは、なおも農業労働力が過剰であることを意味する。「農業の担い手不足」を問題とするのは、ものの本質を見ない議論である。
  • 国内のコメは余っているにもかかわらず、海外と比較して価格が高い。過剰な労働力が農業部門に停滞しているが故に農業部門の所得が低いのだが、それを政治的にコメ価格をつり上げることで対処してきた為だ。
  • 歴史的な経緯もあるが、アメリカ、フランスと比較し農民一人当たりの生産量が極めて少ない。その結果、穀物の価格が高く競争力がない。
  • 農民の数が少なくなったから日本農業が衰退したのではなく、農民の数が多すぎて合理化が進まなかったため衰退した。
  • 農業が地方を再生することできない。日本農業が競争力を持つためには農民の数が減らなければならない。
と現状を分析し、
将来の提言として、
  • 規制が悪いとする新自由主義的な意見は当を得たものではない。人口密度の高い日本では農地法を改正しても広い農地を作ることはできない。国土の狭い日本はオランダ型農業を目指すべきだ。
  • コメづくりは自由化により生産量は現在の半分となり、1万個未満の農家に集約されるだろう。
  • 定年帰農は日本農業の発展を阻害しているが、地方を新たな時代にソフトランディングさせる間のつなぎとすることができる。
  • TPP、FTAではコメを例外として参加することが出来るのではないか。日本のコメ市場は現在1兆8000億円、自由化すれば9000億円程度と予想されるが、諸外国にとってそれほど興味をひくものではない。
と語られています。

意外だなと印象に残ったのは終章になって、経団連等の新自由主義的な農民批判は当を得ないものとし、定年帰農など農業振興の真逆をいく動きに対しても、過渡期のつなぎとしてありうると評価しているところです。

本書のほとんどの内容、特に日本農業のこれまでの分析には、「御意!」と感じているのですが、ところどころ引っかかる部分もありました。

まず、コメ自由化が行われた場合、農地の集約が進むという見通しです。私は、その場合もっとも大変なのはある程度の農地を耕作するプロの稲作農家になるのではないかと危惧しています。これまでの倍の労働をして、これまでと同様の収入にしかならないのです。
自由化に先立って、現在のようなバラマキを改め、プロ農家へ傾斜した支援が必要だと感じています。

また、著者はTPPにおいてコメを関税撤廃の例外とすることに楽観的なようですが、難しいのではないでしょうか。海外の生産者だけでなく、日本国内においてもコメの自由化を願っている人たちがいるわけですし。

そして、現状として食料が過剰に生産されているという点は納得するのですが、将来において食料危機がおこることはない、といい切れるかどうか、私にはまだ不安があります。
最近ちらほらと、オランダ型の農業をとりあげて、日本が目指すべきモデルだとして語られているのを目にします(たとえば田村耕太郎氏)。ただ、良い面ばかりでなくそれが持つリスクも考えておきたいです。

長い紹介になってしまいましたが、農業・農産物に関わる方だけでなく、多くの方に読んでいただきたい本です。特に、都市部に居住されて農業に関心を持たれている方に。
(おそらく、農村に暮らし農業をされている方は、ホンネでは過剰な生産、過剰な農家数が農業問題の本質だという本書の主張を理解されているでしょうから・・・。)

2012/03/05

米ヌカの産地情報伝達とコイン精米所

精米すると、重量にして玄米の1割ほどの米ヌカが発生します。容量でみると、かさ張るので2割くらいになります。
米屋にとっての米ヌカは廃棄物というよりも副産物という位置づけになるのですが、引取価格はかなり安く保管の場所代にもならなくらい。それでも処分しなければ溜まるばかりだし、廃棄物として処分する手間やコストを考えれば、取りに来てもらえるならマァいいか、という感じです。

発生した米ヌカは、主に米油の原料や堆肥、飼料に使われます。 また、少量でしたらヌカ床に使ったり、これからのシーズンは筍を調理するときにも使われます。あとは、石鹸に添加したり、美容パックとして利用したり、ヌカ袋に入れて清掃に利用したり、などなど。
胚乳部分よりも油分やミネラル、ビタミンなど微量栄養素に富み、原料価格も安いのが魅力でしょうか。
反面、栄養分に富んでいるうえに細かい粉末になっているため、酸化しやすく、腐敗したり虫がつきやすい厄介な部分もあります。また、人間に有益な栄養素だけでなく残留農薬やカドミウム等の重金属もヌカ部分に多く溜まります。そして放射性セシウムも同様です。

昨年末、農林水産省から「平成23年産米に由来する米ぬか等の取扱いについて」が発表されました。
要点は、

  1. 米ヌカの加工係数は「8」。(例えば、10Bq/kgの放射性セシウムが検出された玄米なら、そのヌカの放射性セシウム濃度は80Bq/kgと推計する。)
  2. 米ヌカの販売においては産地情報を伝達する。
    1. 放射性物質調査の対象となった17都県産以外の玄米の場合はその旨を、
    2. 17都県のうち放射性物質が定量されていない地域のものは産年(22年、23年)ごとの使用割合を、
    3. 放射性物質が定量された地区の玄米は使用割合とその地区の放射性物質調査の結果を伝える。
    4. 暫定規制値を超えないようにする。
  3. 飼料、肥料等の製造業者はこれらの情報を基に、製品が許容値を超えないようにする。

先日、同業者と集まる機会がありました。そのときにちょっと話題になったのが、コイン精米機でのヌカです。
コイン精米所には不特定の利用者により30kgとか60kgの小ロットで多様な玄米が持ち込まれるのですが、そこでどんな玄米が持ち込まれているのかは把握されていません。さきに書きましたように米ヌカの引取価格は安く、加えて回収するごとに内容が異なる。とてもじゃありませんが回収毎に検査機関に測定してもらうのは非現実的な話でしょう。
ならば、コイン精米機のヌカはただの廃棄物として処分されるのか?
農林水産省は通知で、つぎのように指導しています。

2.米ぬか等を用いた食品、肥飼料等の安全の確保(1)(イ)
コイン精米機の管理事業者は、玄米の放射性物質調査の結果、40 Bq/kg 以上の値が見られた市町村に設置されたコイン精米機で発生した米ぬかについて、当該地域の玄米から発生した米ぬかの放射性セシウム濃度の推計値を参考に、食品や単体での肥飼料等への利用は控えるようコイン精米機の利用者や米ぬかの利用者に注意喚起を行う。
ここでは、昨年行われた玄米の放射性物質調査で40Bq/kg以上の値が出なかった市町村に設置されているコイン精米機には触れられていません。
昨年の玄米の調査のとき40Bq/kg以上が見られた地域は、福島県を除くと茨城県鉾田市、北茨城市、栃木県日光市、群馬県安中市、渋川市、千葉県市川市くらいですね。
では、それ以外のヌカは原発事故以前と同様にフリーパスということなんでしょうか。
当該地域の玄米から発生した米ぬかの放射性セシウム濃度の推計値を参考に
という部分から思うに、他の地域においてもコイン精米機の米ヌカのセシウム濃度は、それが設置された地域の検査結果から推計して扱うということでしょうか。
しかしこれは、コイン精米機で精米される米は、その地元の米ばかりだという想定を前提としているわけですよね。
原発事故の影響もあり首都圏でコイン精米機の利用が増えていることが、業界紙で報じられています(商経アドバイス2月27日号)。今、国内のコイン精米機から発生するヌカは、かなりの量にのぼることでしょう。
東京都や神奈川県などにあるコイン精米機には、それら都県のコメ生産量と消費量のバランスから考えても、持ち込まれる玄米の大部分は他県産だと思われます。

もちろん、完璧な制度というものが存在するとは思いませんが、どこか納得いかない、釈然としない。この辺の詰めの甘さが、残念に思えます。あるいは、いろんな方面への影響を考えた結果、中途半端になったのか。
いくら一部では情報伝達をきちんとしても、こういう大きなところに穴があると思うと、なにか虚しさを感じます。

コメ行政に関しては、ありがちな虚しさなんですが。

2012/03/04

お米を使った海外サイトのレシピを見て・・・

下記リンクは米国のコカ・コーラ社のレシピですが、ちょっとショックを受けました。

リゾット風の料理なのですが、お米を炒めたあとコーラをドボドボと入れて煮込んじゃいます。肉料理にコーラを使うというのは時々聞きますが、お米にコーラっていうのはなんかタブーめいた感じがします。
まだ私は試していないので味は知りませんが、この発想の自由さには心地よさすら感じました。私にはとても思いつかないし、たとえ思いついたとしても即座に却下したことでしょう。
私たちは日本が瑞穂の国であると自認し、多くの人がお米に関して一家言持っています。しかし反面、その食べ方においてだいぶ保守的なのかもしれません。


例えば、Rice Recipesにはチャーハン、ピラフ、リゾット、メキシカン、スパニッシュ、ライスプディングなどの料理やデザートが紹介され、使用するお米も料理に合わせて長粒種のバスマティやイタリアのアルボリオ、日本風の短粒種など。近頃よく名前を目にするSNSのPinterestでも多くの米料理の写真が公開されていますが、私のイメージしてた米料理の枠を超えるバラエティに富んだもので、目を楽しませてくれます。


ところで、お米についてはうるさいとされる私たち日本人ですが、ご家庭では上記したような料理をそれに適したお米を使って調理されているでしょうか?家庭でもパスタは本場の食材にこだわり、茹で加減もアルデンテが云々と言っている割には、リゾットはスープを吸わないコシヒカリだったりするのではないでしょうか。
さすがに三十年前みたいに、洋風の味付けをした焼き飯を「ピラフ」と呼ぶことは、今はないでしょうが。


しかしまあ、私自身も一番好きなのは日本のお米で、それを白飯として食べるのが落ち着くクチです。
それでも、世界各国の”本格的”な料理が食べられる日本において、お米に関わる料理だけは無理して日本のお米を使っているのは画竜点睛を欠く様で残念に思えます(ただ、こうなっているのも他の食材に比べコメ輸出入のハードルが高いことに大きく起因するのだとは思いますが。)。
また、上記したような海外のサイトを見て、もっと自由な発想でお米と向き合う余地がまだまだあることを感じています。

2012/02/29

2012/2/29の新聞記事「輸入米、消費量の半分に? TPP加入で関税ゼロなら」

今朝、ネットで見た朝日新聞の記事です。


”輸入米、消費量の半分に? TPP加入で関税ゼロなら
日本が環太平洋経済連携協定(TPP)に入り、コメにかけている関税がゼロになった場合、海外産米が最大で年400万トン輸入される可能性があるとの試算を、九州大学大学院の伊東正一教授がまとめた。
伊東教授は食料需給問題を専門とし、世界の食料事情に詳しい。現在、国産米は60キロ(玄米)あたり1万5千円程度だが、関税がなくなれば、米国産の「コシヒカリ」が7千円前後、同国産の「カルローズ」が5千円程度で入ってくる可能性があるという。
日本人が食べる短中粒種のコメは、米国では年150万トン、ベトナムでは年1万トン生産しているが、5年程度で日本向けに品種を変えたり、生産体制を整えたりすることを想定。米国から300万トン、ベトナムから100万トンの計400万トンのコメが入ってくるとした。
400万トンは、日本の年間コメ消費量の半分に相当する。伊東教授は、日本の中小規模のコメ農家の経営は立ちゆかなくなり、採算を度外視して趣味でコメ作りをする兼業農家と、一部の大規模農家のみになると指摘。一方で、「コメが安くなり消費者にはメリットがある。多くの輸入ルートを確保した方が、食料不足のときに安定的に海外から調達でき、食料安全保障上もいい」と話している。”
(朝日新聞 2012/2/29)


「そんな感じだろうな」と思ってたことですが、こうやって書かれると重く感じますね。
伊東正一教授のサイトは私もときどき拝見させていただいてますが、ほかでこのような(説得力のある)シミュレーションをしているところを知らないので、大変参考になります。

”伊東教授は、日本の中小規模のコメ農家の経営は立ちゆかなくなり、採算を度外視して趣味でコメ作りをする兼業農家と、一部の大規模農家のみになると指摘。”

残念ながら、私もそうなると思います。
美味い米をつくる中山間地のプロ農家は退場し、コメで利益を上げる必要のない趣味農家、あるいは超低コスト生産が可能な一部大規模農家だけが残るという皮肉な結果が予想されます。
もちろん、安全性や食味を重視しプライドを持って仕事するプロ農家を支持する消費者も残るとは思いますが、標準的な品の価格との乖離がどれくらいまでなら許容されるのか不安があります。
趣味農家でも手間のかけ方や土地、生産者自身の資質によって美味い米をつくる方もいますが、まとまった数量にはならず、品質のバラつきも多く、JA等の集荷の負担も大きい。
付加価値を上げ、コストを下げれば、世界一おいしい日本のお米は世界に売れる」という意見もありますが、そもそもこんな状態になれば「世界一おいしい」と言ってられるかどうかわかりません。

”一方で、「コメが安くなり消費者にはメリットがある。多くの輸入ルートを確保した方が、食料不足のときに安定的に海外から調達でき、食料安全保障上もいい」と話している。”

確かに食糧自給率よりも調達ルートの確保によるリスク分散 の方が大切だと、私も思います。
ただ将来、日本円が弱くなった時、たいして安くもなければ美味くもないというコメばかりになりはしないかと心配です。そうなったときに初めて、国内で適正価格で美味いコメを作ろうというプロ農家の価値が見直されるのかもしれません。でも、それじゃあ遅すぎる気がします。
いざという時にあてにできない兼業農家をではなく、プロの農家をこそ支えるべきだというのが私の気持ちです。

2012/02/28

灯油が高かった今年の冬

うちは、いわゆる「お米屋さん」というタイプの米屋でして、昔は薪、練炭、オガライトなどの家庭向け燃料も販売していました。上記のようなレガシーな燃料はもう使う人がいなくなり取り扱いもやめているのですが、灯油(と木炭)の販売は今もやっております。

しかし、今年は灯油が高かった(というか、いまだ上昇中)!
2008年の高騰時には現時点では届いてませんが、今回の方が販売量への影響が大きかった気がします。
今シーズンは秋口の気温の下がり方もゆっくりだったし。まあ、年が明けてからはめちゃくちゃ寒かったですが・・・。

あるお客さんと話してたら、「最近は起きる時間を遅くしているの。目が覚めても布団に入っていれば、ストーブ点けなくていいでしょ。」なんて言われました。
また、今シーズンは全然注文してこないなあと思っていたお客さん。今月に入ってこの辺りでは珍しく雪が降るほど寒かった日に電話がありました。「今年は灯油が高いから、電気ストーブとエアコンで我慢してた。でも、さすがに耐えられなくて・・・。」
継続して注文してくださるお客さんも、昨年に比べて全体的にペースが緩やかに思えます。
余所で聞いた話では、灯油販売が半分に落ちたスタンドがあるとか・・・。
灯油だけじゃなしに燃料油全体の消費量も下がってるようで、国内での精製にも見切りが付けられているとか。

しかし、昨年の夏ごろは「節電の影響から灯油ストーブの需要が高まる」なんて話もありましたね。
噂では、某メーカーはそれを見込んで灯油ストーブを増産したそうですが。

2012/02/27

松屋、豪州産米使用宣言のインパクト 後編

続きです。前編では米トレサ法、22年産米暴落、原発事故、23年度の高騰、SBS枠米の人気復活、というこの2,3年の流れを振り返ってみました。


過半数は否定的?

まず、2月14日から24日にかけてYahoo! Japanで行われたアンケートでは、豪州産米の牛丼を食べたい人39%、食べたくない52%、わからない11%とのことです(合計が合わないのは、小数点以下は切り上げているようです)。
もちろんこのようなアンケートで実際がわかるわけじゃないのですが、食べたくないという人が半数もいたのは案外驚きでした。


否定的な理由を考えると・・・

まず、外国産米に対する誤解もあると思います。
もう少なくはなりましたが、外国産米といえば93年のコメ不足の時に緊急輸入されたタイ米のイメージで捉えている人がいまだにいます。当時輸入されたタイ米インディカ種は、日本での「ご飯」とは別物です。
最近は現地でも日本の炊飯器で炊いたりするみたいですが、本来は「湯取法」でパラッとさせるのが美味しく、日本のご飯と比較してフワッと軽いのが持ち味です。これを「タイ米は不味い」だの「食べたくない」だのいう人を見ると、うどんを食べようと思ったたけど、うどん玉がなかったから代わりにスパゲッティをつゆにつけて食べ、「こんなのうどんじゃない、食えたもんじゃない」と言っているのと同じように感じるのですが・・・。
ですが、今回使用されるのは短粒種で玄米の状態で輸入されたものです。

つぎに、自国のコメに対する過度の自信です。
なんかアメリカ人がアメ車に対して過剰な自信を持っているのと同じ感じでしょうか?
確かにある程度のレベル以上のモノならば、日本のお米はすごく美味いです。でも、日本でつくられたお米がどれもがスゴイわけじゃない。なかには惰性でつくられているようなモノも・・・。
昔からよく言われてる話ですが、業者に売り込みに来る農家は大抵、「自分のところの米は相当に美味い、そこらの米とは全然違う。」という。だが試食しても、そうとも思えないので、「ところで、貴方は他所の米を食べたことがあるのか?」と尋ねれば、「他所の米みたいな不味いもん、食うわけがない!」と返ってくる・・・。
もちろん、現時点での日本の米のクオリティは決して低くない。しかしコストパフォーマンスや安定供給への信頼性など、評価の対象になるポイントは色々ありますし、決してオーストラリアやアメリカの生産者が日本人農家にくらべて資質で劣るなんてこともないでしょう。
根拠のない自信、慢心によって方向を誤らないことを願います。


今回のニュースのインパクトとは

今回のニュースのインパクトは、米トレサ法により飲食店にコメの産地表示が義務付けられているなか、大手の松屋が外国産米の使用を決めたことにあります。

まず、あの大手が使ってるんだから、と他の飲食店においても外国産米使用の抵抗感が少なくなるでしょう。

そして、消費者の抵抗感もどんどん薄くなっていくと思われます。米トレサ法施行前は外食・中食においては、米の産地の表示義務はありませんでした。これまでも、国内消費量の1%にも満たない数字ですが、SBS枠内で主食用に使える一般米は年間数万トン輸入されてきました。一昨年までは、それとは知らずに外国産米が口にされていたことでしょう。おそらく同じくらいのコストの国内産の超低価格米よりは、クオリティが高かったのじゃないでしょうか。松屋で豪州産米を口にされる方の多くは、肩透かしを食らうかもしれません。「なんだ、案外に普通じゃないか。」と。

TPP参加の議論が始まる以前の段階で、コメの関税引き下げは避けられない問題として存在していました。また、都市住民と比較して、バランスを欠いて過剰な農村の保護を指摘する声もあがっていました(例えば、<偽装農家>という語を生み出した神門善久氏の「日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉) 」など)。
米トレサ法には、関税が引下げられた後に外食・中食のコメ需要家を牽制する意味も多分に含まれていたはずだ、私はと邪推しています。しかし、現在程度の需給逼迫と高騰であっさりと外国産米を選択するところが現れた、しかも大手チェーン店が。そして、食べてみたら普通じゃないか、と。そうなる気がしています。


それでも、やはり日本のコメへ期待する

もちろん日本のお米は美味いし、茶碗によそった白い「ご飯」として食べる場合、私は国内産米の一択です。でも、もっと言えば国内産なら何でもいいわけじゃない。国内産でもこれじゃあねえ、ってこともあるんです・・・。
これまで日本のコメ、稲作、コメ農家は関税で守られてきました。私は、それだけじゃないと思ってます。日本の消費者の心に共有されている、農村風景へのノスタルジー、外国産米への偏見といった感情によっても守られてきたのではないでしょうか。しかし、消費者がその錯覚から覚めた時、正々堂々と勝負できるコメだけが生き残るだろうと考えています。

松屋、豪州産米使用宣言のインパクト 前編

2月13日のニュースで牛丼の松屋が、オーストラリア産米を導入することが報じられました。
また、21日の記事では一部店舗で使用を開始したとのこと。国産とのブレンドだそうですが、7割の店舗で使用するそうで、おそらくうちの近くの店でも食べることができると想像します。

このニュースがインパクトを持っているのは、メジャーなチェーン店である松屋が、外国産米を使用することを正面から宣言したことにあります。なかには「大手外食チェーンなんてもとから外国産米を使ってたんじゃないのか?」なんて感じている人もいれば、「外国産米=インディカ米」と思いこんで強烈な拒否反応を示す人や、TPPの件と混同している人もいるようです。誤解も多いような部分なのでちょっとまとめてみます。


米トレサ法と22年産米の暴落

まず、ここ数年のコメ流通の状況を記してみます。
平成22年10月、23年7月の2段階にわけて米トレーサビリティ法が施行されました。これにより、飲食店などで米飯類を提供する場合も、お客様に産地を明示する義務が課せられました。
従来、外国産米を使用していた業者も使用を避け、国産米へと切り替えがすすみました。

一方、平成22年は史上最悪の米価水準を記録した年でした(田植前にすでに予想されていたことでしたが)。そのためコスト重視の大手チェーン店などでも、安くなった国産の銘柄米が使えるようになりました。
例えば、この年の秋以降、某大手牛丼チェーンは「国産コシヒカリ使用」を積極的にアピールし、いかにも日本の農業を考え貢献しているかのようなイメージの広告を頻繁に出していました。よくウェブサイトの端っこに出ていた広告をご覧になった方も多いと思います。で、確かに、明らかに、このチェーン店のご飯の味は変わりました。かつては「よくこんな、ひねた米をを使うなあ。」とあきれるほどに胸焼けのするクオリティだったのですが、ホントだいぶ良くなりました。


22年度のSBS米

ところで、日本へ輸入するコメには関税がかからないMA枠があります。これが年間77万トンほどですが、大部分は農林水産省が砕米などを輸入し加工用や援助用にまわしています。なんで農水省がそんなことをするのかというと、もし民間業者が主食用に使える米を77万トンのMA枠いっぱいに輸入すると生産農家へのダメージが大きすぎる、そのため国がその枠を使ってしまっているという感じです。
ただし、民間が好きな米を関税なしで輸入できるSBS枠が、77万トンのうちの10万トンだけ用意されています。この10万トン枠の権利はマークアップという関税代わりの手数料みたいなものをいくら払うかの入札で決まるのですが、今年だと1kgあたり60~80円くらいで落札しているようです。
そのSBS米なのですが、米トレサ法と米価暴落の影響で22年度入札は超不人気に。通常は4回くらいで終了する入札も9回まで実施され、しかも最終的に成立したのは10万トンのうち3万7千トンほど。6割以上の枠を残しての終了です。うち主食用になる一般米はわずか1万0,606トン。マークアップも40円台が中心でした。

農林水産省/輸入米に係るSBSの結果概要  http://www.maff.go.jp/j/seisan/boueki/nyusatu/n_sbsrice/


タイトになった需給

22年の秋には過剰に思われたコメの供給でしたが、大手チェーンの大量の契約が原因で、年が明けてすこし経った頃には、特にコシヒカリの需給がタイトになり始めていました。巷では5月あたりには未契約のコメは無くなるのではないかという噂も流れていました。

そんな状況で起こったのが大震災と福島第一原発事件です。当初は福島第一原発による放射能汚染よりも、浸水や倒壊でダメになったコメがどれくらいあるのか、作付け不可能な田んぼがどれだけあるのか、が心配されていました。
また東北からのコメがストップしたため先ずは当座の手当として、後には関東で発生したコメ不足を補うために西日本のコメが流れて行きました。
その後、放射性物質による汚染が深刻だという状況が明らかになると、その年に収穫予定のコメが嫌われて22年産の買い溜めが発生、8月には本当にモノがなくなりました。通常年なら10月から11月に開始される業務用米の新米への切り替えも、9月の刈り取りが始まるとさっそく行われた状態です。
予想されたように米価は20%くらい上げてスタートしました。東日本のコメは忌避され、ただでさえ数量の多くない西日本のコメに人気が集まりました。
ただ、23年出来秋には「需給バランスはむしろ緩いくらいだ、年明けか春頃にはモノも出てきて価格も落ち着くだろう」と見られていました。しかし年が明けても「どうも何時まで経っても高値のままだし、もしかしたらもうモノは市場に出てこないかも」という雰囲気がでてきました。


人気復活のSBS枠

高いだけじゃなく、モノもない。さらに国内、特に東日本のコメは放射能汚染の可能性があること、原発事故以降の諸々の騒動から国内産農産物への信用が崩れてきていることから、海外のコメへの抵抗感も薄らいだと思います。
SBS米は2月10日に行われた第4回までで10万トンの枠すべてが成立しました。豪州玄米短粒種は12月に5,000トン、2月には9,780トンが落札されています。松屋はそのうち4,000トンを使用するとのことです。

後編へ続く・・・

2012/02/25

とある米屋が思うTPP~2012年2月の時点で

近頃、コメ業界周辺での話題、というか心配ごとのひとつはTPPでしょうか。

私はよく「米屋だから当然、強硬にTPPに反対しているだろう」と誤解されがちです。もちろん、生産者の多くにとっては利益よりも不利益になると思われること、またTPPのラディカルさが相当きつく感じられることから、決して賛成ではありません。ですが、コメに関してはTPPへ不参加となったとしても問題の本質は解決しないと思っています。

TPP問題か?コメ問題か?

TPPでコメに絡んで語られる問題の芯の部分は、この度のTPP参加の有無とは関係なく存在していたものではないか、と感じるのです。
私が思う芯とは、コメの「内外価格差」と稲作の「高コスト体質」です。それこそ20年以上前のガットのウルグアイラウンドの頃からずっと、どうにかしないとといけない状態にありながら、騙しだましやり過ごしてきた問題じゃないでしょうか。
これは日本の稲作が本来抱えている問題であり、TPPによって新たに生じた問題ではないのです。むしろTPPの責めにすることで、問題解決から逃げる口実にさえなるのではないか、と思います。

内外価格差

自由化の影響による自給力の低下が懸念されてます。海外のコメが日本市場を席巻し、需要が減少する分だけ日本での作付けが行われなくなり、ひいては生産者の減少、農地の荒廃がおこるという懸念です。
しかし自由化により生産量が落ちるということは、日本のコメのかなりの部分は消費者・需要家に選好されないモノだということを前提にしているわけですよね。瑞穂の国といいながら、日本のコメは素晴らしいと自賛しながら、かくも簡単に海外のコメに負けることを想定している。日本の米と海外のコメとの間には、価格差に見合うクオリティの差はないのが現実だとすれば、まずそこが問題ではないでしょうか。

ところで、世界の平準化により、割を食うのは日本の庶民だと私は考えています。庶民が担っていた仕事、受けていた報酬が途上国の労働者に流れ、彼らと競合状態にあり、それに従い日本の庶民の所得が下がる。従来は日本に住んでいるというだけで受けていたメリット(開き直って言えば「既得権益」)が消えていくわけですよね。一方、米価は下落傾向にあり(H23年はイレギュラーとして)、20年前から見ると2~3割くらい安くなっていますが、でも恐らくそれは庶民、とくに都市部の低所得層の凋落に追いついていない気がします。

しかし、いずれ平準化が進むことにより、日本円が今より弱くなり、途上国と日本の労働者の賃金の差が縮まるなら、コメの内外価格差も消え、あるいは海外のコメは国産に比べて割高になっているかもしれません。そうなった時、私たち国民が過度の負担なく食糧を調達出来るためには、国内の稲作にしっかりと残っていてもらわなければ困るわけで・・・。現在と将来のギャップをどう埋めて稲作を守るのか・・・。

ニーズとずれた高コスト

現在のコメの作付けシェアはコシヒカリが4割近く。それにひとめぼれ、ヒノヒカリとコシヒカリ系統の良食味な品種が続きます。しかし私には、消費者の需要を反映しての結果というよりも生産者の「高く売れるコメ(JAの設定価格が高い品種)を作付けしたい」という気持ちの表れに見えます。数年前、「売れるコメ作り」という言葉をよくききました。その時に感じたニュアンスは、「高くても売れる、付加価値(食味、安全性、環境保全性)のあるコメを作ろう」というものでした。「多くのお客さんが価値を認める結果、高くても売れる米」ではなく、「高い値段を付ける理由が説明できる米」という感じで。しかし、その層の需要以上にそこへ向かって行った生産者の数が多かったような・・・。
コメは年に1回しか作れない故に、生産地サイドが消費者の動向に機敏に対応することは難しいのかもしれません。でも、タイムラグがでるは仕方なくても、自分の思い入れだけでなく、食べる人、最終的にお金を出す人のことを想像してみてほしいと思います。実に様々な嗜好があり、懐具合も人それぞれなんですから。

米屋と農家は・・・

いずれ直視しなければならない現実にどういうやり方で向き合うか、そのひとつがTPPだと思います。しかし上記したように、TPPのラディカルさはキツイ、もう少し緩やかな方法じゃないと日本の稲作はついていけない。よって「決して賛成はできない」というのが、現時点での私の立場。
ですが、農業あるいは商業の現場にいる私達にとって今は、呑気に賛成だ、反対だと議論しているときではなく、TPP後の生き残りを模索することにエネルギーを傾けるべきでしょう。仮にTPPに参加しなくても、この流れは変わらないのですから。


   

2012/02/19

お米の研ぎ方が悩ましい件について

「お米の正しい研ぎ方」ってお客様からときどき尋ねられます。皆さん結構関心があるというか、なんか解りにくい部分なのでしょうね。他所の家がどんな研ぎ方してるか見る機会も滅多にないでしょうし。
私の意見としては、結局は炊きあがりが美味しく感じられれば、それで正解ではと。業務用でなく家庭でなら、神経質にならずに大らかにやっていいのじゃないかな、と思ってます。

でも、それじゃあ不安というかスッキリしないのでしょうね。
また、なんでこんな質問がでるのかも、なんとなく解ります。
料理本、雑誌、テレビ、ネットなどいろんな所でお米の研ぎ方が説明されていますが、けっこうバラバラ。真逆の意見が併存してたりします。

その理由を考えてみました。

強くしっかり研ぐのか、優しく洗う程度がいいのか

昔の料理本などでは、手のひらの付け根の部分を使ってゴシゴシ、ギシギシと強くしっかり研ぐよう指導されていたようです。今でも体重をかけるようにして強く、時間をかけて研いでいる年配の方もいます。
しかし近年、やさしく手早く、という研ぎ方が良いとされるようになりました。理由としては「精米技術が進歩したため強く研ぐ必要はなくなった」がよく挙げられていますが、加えて品種の遷移、栽培方法の変化もあるでしょう。現在作付面積1位で4割ほどのシェアをもつコシヒカリも戦後の品種です。続くひとめぼれヒノヒカリもコシヒカリの系統。数十年前にメジャーだった品種と今とでは状況がまるで違います。また栽培時の肥料や収穫後の乾燥の方法も変わってきています。
そのため、昔のような研ぎ方では米が割れて花が咲いたりベチャになってしまう場合がある。で、過剰な米研ぎによる炊飯失敗のクレームを受ける立場の米穀店が、特に積極的に手早く軽い米研ぎをすすめるようになったのではないでしょうか。また、何時まで経っても水が透明にならないと言って、しつこく時間をかけてやっていると胚乳部分のデンプンまで溶け出してしまいます。
ただ、これを極端に解釈してしまう方もいらっしゃるんですよね。水につけてジャバジャバっと、それこそ「すすぐ」っていう程度で終わらせてしまう。これじゃあぼそぼそして艶のないご飯になる可能性があります。ある程度は研いでいただきたいです。
精米は糊化層という膜でコーティングされたような状態といわれています。その膜を研いで剥がすのが米研ぎの目的。刃物を研ぐように、適度な水で、あまり力をかけず、米粒同士が摩擦しあって磨かれるイメージが必要だと思います。

ザルにあげるべきか、あげてはいけないのか

まず、「ザルあげ」といった場合、「ザルにあげた状態で吸水させる」ことと、「ザルにあげて水を切る」の二種類の意味があります。「ザルあげ」について話されるとき、この二つが混同されがちな様です。

まず「ザルあげ吸水」について。
これは、米を研いだあとザルにあげて、その状態でしばらく放置して吸水させる方法です。
今も料理店では「ザルあげ吸水」は普通ですね。ただこれ、家庭で5合くらいを炊飯するのと、お店で3升ぐらい炊飯する場合とでは状況も違ってくると思います。
だいたい、米穀店や米穀店組合が消費者向けに出すメッセージとしては「ザル上げは不要」というものが多いです。それは、おそらくこういう経緯からじゃないかと推測します。

  • 家庭の炊飯で米が乾燥してボロボロになるほどザル上げしたために、ベチャや団子になったりして、それが米穀店へクレームとして入ることが多かった。
  • また夏場などは雑菌が繁殖し腐敗しないように衛生管理が不可欠。
  • 要は炊く人が加減を見極められ、管理が出来れば問題ないが、米穀店としては不特定多数へ向けたメッセージでは安全をとった。

プロが炊飯する場合は、そこらへんの見極めや管理も問題ないでしょうし、3升とかの量になれば、すぐに乾燥することもありません。米粒の外側をベタつかせずに芯まで吸水させるには、この方法が適しているともいわれています。
家庭の少量炊飯でザル上げしながら吸水させる場合はザルをボールの中に入れラップをかけるなど乾燥を防いだり、夏場ならそれを冷蔵庫に入れたりの注意が必要だと思います。

「ザルにあげて水をきる」
米を研いだあとザルでしっかりと水切りするのとしないのとでは、炊きあがりに差がありますね。気のせいかもしれませんが、ザルで水切りしたほうが、さっぱりとして美味しいと感じます。
それと、昔は今の炊飯器の内釜みたいに丁寧な目盛なんてついてませんでした。吸水させたあとの米の容量を基準に加水量を決めたりしてた。その意味でも年配の方にとってはザルあげは当然なんだと思います。
私は家庭では「ザルあげ吸水」は不要だと思いますが、「ザルにあげて水をきる」ことはお勧めします。

結局

米を研ぐってことは、
  1. ホコリや異物などを洗い流す。
  2. 米粒表面の糊化層を研いで落とす。
の2つが目的だと思います。
具体的には、
  1. の洗い流しは、たっぷりの水を使ってさっさと終わらせます。米は最初の水を激しく吸います。この時、糠臭さまで一緒に吸い付かせないように、水は一瞬で捨てます。無洗米でも、この作業はやったほうがいいと言われています。
  2. これが所謂、米研ぎ。米が泳がない程度の水量で、軽く磨いていきます。刃物を研いだり、サンドペーパーをかけるときに水を使いながらやりますが、ここでの水も同じ意味。力を余り加えずに、米粒同士の摩擦で磨くようにします。
まあ、あまり細かいことにとらわれず、上記の2つの目的を果たせて、かつ米を割ったりしない程度なら、それでいいというのが私の考えです。

2012/02/18

【書籍】「ドキュメント 隠された公害―イタイイタイ病を追って」 (ちくま文庫)鎌田 慧

本来なら今頃、コメのカドミウム濃度にもっと消費者やメディアの注意・関心が向けられていたハズです。食品衛生法に基づく米のカドミウム基準値が従前の「1.0ppm未満」から「0.4ppm以下」へ改正され、今から1年前の平成23年2月に施行されているからです。

この改正に先立ち、生産地サイドではカドミウムを吸収しにくい栽培方法が指導され、単位農協が自主検査の体制を整えたり、サンプリング地点を大幅に増やし可能な限り事前ブロックできるようにするなどの準備がすすめられていたようです。が、改正法施行直後に震災が発生、福島第一原発由来の放射性物質による汚染が大問題で、消費者やメディアはカドミウムを気にするどころではなくなりました。

私が、この ドキュメント 隠された公害―イタイイタイ病を追って (ちくま文庫) を読んだのは平成23年7月。世間は原発事故による放射性物質による被害と事実の隠蔽、情報操作にまつわる不信であふれていた時期です。この本を読みながら、その内容と現実に進行している原発問題との間に強いデ・ジャブをおぼえました。

この本は40年以上前、富山に続き対馬でも発生したイタイイタイ病を、当時朝日新聞社の記者だった著者が取材したものです。対馬のイタイイタイ病の原因は高濃度のカドミウムを含むT社鉱山からの排水ですが、たいした産業もない田舎ではこの鉱山は特別な存在。地元住民の大部分は鉱山と何らかの関係があるし、T社は地元に金を落としてくれる唯一の企業で、T社のおかげで鉱山の近くの集落は島内の他の集落よりも高い生活水準を享受していたりします。そんな状況で著者は取材をすすめるのですが、地元の人間は非協力的で、病気や汚染の存在すら否定されるわけです。
地元に金を落とす施設を失いたくない自治体、生活のため汚染被害を否定したい人たち、金で篭絡された地元有力者、加害企業とズブズブの町長や議員たち、負うべき責任を無いことにしたい企業、カドミウムは怖くないというプロパガンダ、強弁や恫喝、イタイイタイ病をただのリウマチとみずから言い聞かせる人びと、などなど。最近どこかで聞いたような話がでてきます。

ただ40年前の著作ということもあり、昔のインテリ左翼的な上から目線というか、ところどころに独善的な態度を感じさせるのが残念です。また労組は正義だという前提で描かれているようなところもあり、そこも少しひっかかりました。しかしそれらを除けば、社会がどのようにして窮屈で風通しが悪いものとなり、人びとがスポイルされていくのかが描かれた非常に興味深い本でした。
読みながら思ったのは、公害隠ぺいの仕組みって変わらないんだなと。公害問題に限らず、ですかね?

ところで唐突な余談ですが、最近の「工場萌え」について。オブジェとしての工場の魅力は、私もわからないではないです。造形に惚れ惚れする気持ちもよくわかります。
でも、かつて酷い公害をまき散らした工場なんかでも、まだそのまま存在して操業してたりするんですよね。例えば本書に登場するT社のA工場など、その特徴的な立地からファンも多いみたいです(もちろん公害は改善はされているでしょうが。)。
で、そんな工場を、過去の歴史と併せて見ることなく、ただスバラシイと賞賛するってどうなんでしょうか。過去を承知の上で鑑賞するならともかく、知らないで楽しんでいる人もいそうで。そういうユルさって、高度成長期の公害問題や今の原発問題と無関係ではないのでは、なんて思っています。