2012/02/29

2012/2/29の新聞記事「輸入米、消費量の半分に? TPP加入で関税ゼロなら」

今朝、ネットで見た朝日新聞の記事です。


”輸入米、消費量の半分に? TPP加入で関税ゼロなら
日本が環太平洋経済連携協定(TPP)に入り、コメにかけている関税がゼロになった場合、海外産米が最大で年400万トン輸入される可能性があるとの試算を、九州大学大学院の伊東正一教授がまとめた。
伊東教授は食料需給問題を専門とし、世界の食料事情に詳しい。現在、国産米は60キロ(玄米)あたり1万5千円程度だが、関税がなくなれば、米国産の「コシヒカリ」が7千円前後、同国産の「カルローズ」が5千円程度で入ってくる可能性があるという。
日本人が食べる短中粒種のコメは、米国では年150万トン、ベトナムでは年1万トン生産しているが、5年程度で日本向けに品種を変えたり、生産体制を整えたりすることを想定。米国から300万トン、ベトナムから100万トンの計400万トンのコメが入ってくるとした。
400万トンは、日本の年間コメ消費量の半分に相当する。伊東教授は、日本の中小規模のコメ農家の経営は立ちゆかなくなり、採算を度外視して趣味でコメ作りをする兼業農家と、一部の大規模農家のみになると指摘。一方で、「コメが安くなり消費者にはメリットがある。多くの輸入ルートを確保した方が、食料不足のときに安定的に海外から調達でき、食料安全保障上もいい」と話している。”
(朝日新聞 2012/2/29)


「そんな感じだろうな」と思ってたことですが、こうやって書かれると重く感じますね。
伊東正一教授のサイトは私もときどき拝見させていただいてますが、ほかでこのような(説得力のある)シミュレーションをしているところを知らないので、大変参考になります。

”伊東教授は、日本の中小規模のコメ農家の経営は立ちゆかなくなり、採算を度外視して趣味でコメ作りをする兼業農家と、一部の大規模農家のみになると指摘。”

残念ながら、私もそうなると思います。
美味い米をつくる中山間地のプロ農家は退場し、コメで利益を上げる必要のない趣味農家、あるいは超低コスト生産が可能な一部大規模農家だけが残るという皮肉な結果が予想されます。
もちろん、安全性や食味を重視しプライドを持って仕事するプロ農家を支持する消費者も残るとは思いますが、標準的な品の価格との乖離がどれくらいまでなら許容されるのか不安があります。
趣味農家でも手間のかけ方や土地、生産者自身の資質によって美味い米をつくる方もいますが、まとまった数量にはならず、品質のバラつきも多く、JA等の集荷の負担も大きい。
付加価値を上げ、コストを下げれば、世界一おいしい日本のお米は世界に売れる」という意見もありますが、そもそもこんな状態になれば「世界一おいしい」と言ってられるかどうかわかりません。

”一方で、「コメが安くなり消費者にはメリットがある。多くの輸入ルートを確保した方が、食料不足のときに安定的に海外から調達でき、食料安全保障上もいい」と話している。”

確かに食糧自給率よりも調達ルートの確保によるリスク分散 の方が大切だと、私も思います。
ただ将来、日本円が弱くなった時、たいして安くもなければ美味くもないというコメばかりになりはしないかと心配です。そうなったときに初めて、国内で適正価格で美味いコメを作ろうというプロ農家の価値が見直されるのかもしれません。でも、それじゃあ遅すぎる気がします。
いざという時にあてにできない兼業農家をではなく、プロの農家をこそ支えるべきだというのが私の気持ちです。

2012/02/28

灯油が高かった今年の冬

うちは、いわゆる「お米屋さん」というタイプの米屋でして、昔は薪、練炭、オガライトなどの家庭向け燃料も販売していました。上記のようなレガシーな燃料はもう使う人がいなくなり取り扱いもやめているのですが、灯油(と木炭)の販売は今もやっております。

しかし、今年は灯油が高かった(というか、いまだ上昇中)!
2008年の高騰時には現時点では届いてませんが、今回の方が販売量への影響が大きかった気がします。
今シーズンは秋口の気温の下がり方もゆっくりだったし。まあ、年が明けてからはめちゃくちゃ寒かったですが・・・。

あるお客さんと話してたら、「最近は起きる時間を遅くしているの。目が覚めても布団に入っていれば、ストーブ点けなくていいでしょ。」なんて言われました。
また、今シーズンは全然注文してこないなあと思っていたお客さん。今月に入ってこの辺りでは珍しく雪が降るほど寒かった日に電話がありました。「今年は灯油が高いから、電気ストーブとエアコンで我慢してた。でも、さすがに耐えられなくて・・・。」
継続して注文してくださるお客さんも、昨年に比べて全体的にペースが緩やかに思えます。
余所で聞いた話では、灯油販売が半分に落ちたスタンドがあるとか・・・。
灯油だけじゃなしに燃料油全体の消費量も下がってるようで、国内での精製にも見切りが付けられているとか。

しかし、昨年の夏ごろは「節電の影響から灯油ストーブの需要が高まる」なんて話もありましたね。
噂では、某メーカーはそれを見込んで灯油ストーブを増産したそうですが。

2012/02/27

松屋、豪州産米使用宣言のインパクト 後編

続きです。前編では米トレサ法、22年産米暴落、原発事故、23年度の高騰、SBS枠米の人気復活、というこの2,3年の流れを振り返ってみました。


過半数は否定的?

まず、2月14日から24日にかけてYahoo! Japanで行われたアンケートでは、豪州産米の牛丼を食べたい人39%、食べたくない52%、わからない11%とのことです(合計が合わないのは、小数点以下は切り上げているようです)。
もちろんこのようなアンケートで実際がわかるわけじゃないのですが、食べたくないという人が半数もいたのは案外驚きでした。


否定的な理由を考えると・・・

まず、外国産米に対する誤解もあると思います。
もう少なくはなりましたが、外国産米といえば93年のコメ不足の時に緊急輸入されたタイ米のイメージで捉えている人がいまだにいます。当時輸入されたタイ米インディカ種は、日本での「ご飯」とは別物です。
最近は現地でも日本の炊飯器で炊いたりするみたいですが、本来は「湯取法」でパラッとさせるのが美味しく、日本のご飯と比較してフワッと軽いのが持ち味です。これを「タイ米は不味い」だの「食べたくない」だのいう人を見ると、うどんを食べようと思ったたけど、うどん玉がなかったから代わりにスパゲッティをつゆにつけて食べ、「こんなのうどんじゃない、食えたもんじゃない」と言っているのと同じように感じるのですが・・・。
ですが、今回使用されるのは短粒種で玄米の状態で輸入されたものです。

つぎに、自国のコメに対する過度の自信です。
なんかアメリカ人がアメ車に対して過剰な自信を持っているのと同じ感じでしょうか?
確かにある程度のレベル以上のモノならば、日本のお米はすごく美味いです。でも、日本でつくられたお米がどれもがスゴイわけじゃない。なかには惰性でつくられているようなモノも・・・。
昔からよく言われてる話ですが、業者に売り込みに来る農家は大抵、「自分のところの米は相当に美味い、そこらの米とは全然違う。」という。だが試食しても、そうとも思えないので、「ところで、貴方は他所の米を食べたことがあるのか?」と尋ねれば、「他所の米みたいな不味いもん、食うわけがない!」と返ってくる・・・。
もちろん、現時点での日本の米のクオリティは決して低くない。しかしコストパフォーマンスや安定供給への信頼性など、評価の対象になるポイントは色々ありますし、決してオーストラリアやアメリカの生産者が日本人農家にくらべて資質で劣るなんてこともないでしょう。
根拠のない自信、慢心によって方向を誤らないことを願います。


今回のニュースのインパクトとは

今回のニュースのインパクトは、米トレサ法により飲食店にコメの産地表示が義務付けられているなか、大手の松屋が外国産米の使用を決めたことにあります。

まず、あの大手が使ってるんだから、と他の飲食店においても外国産米使用の抵抗感が少なくなるでしょう。

そして、消費者の抵抗感もどんどん薄くなっていくと思われます。米トレサ法施行前は外食・中食においては、米の産地の表示義務はありませんでした。これまでも、国内消費量の1%にも満たない数字ですが、SBS枠内で主食用に使える一般米は年間数万トン輸入されてきました。一昨年までは、それとは知らずに外国産米が口にされていたことでしょう。おそらく同じくらいのコストの国内産の超低価格米よりは、クオリティが高かったのじゃないでしょうか。松屋で豪州産米を口にされる方の多くは、肩透かしを食らうかもしれません。「なんだ、案外に普通じゃないか。」と。

TPP参加の議論が始まる以前の段階で、コメの関税引き下げは避けられない問題として存在していました。また、都市住民と比較して、バランスを欠いて過剰な農村の保護を指摘する声もあがっていました(例えば、<偽装農家>という語を生み出した神門善久氏の「日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉) 」など)。
米トレサ法には、関税が引下げられた後に外食・中食のコメ需要家を牽制する意味も多分に含まれていたはずだ、私はと邪推しています。しかし、現在程度の需給逼迫と高騰であっさりと外国産米を選択するところが現れた、しかも大手チェーン店が。そして、食べてみたら普通じゃないか、と。そうなる気がしています。


それでも、やはり日本のコメへ期待する

もちろん日本のお米は美味いし、茶碗によそった白い「ご飯」として食べる場合、私は国内産米の一択です。でも、もっと言えば国内産なら何でもいいわけじゃない。国内産でもこれじゃあねえ、ってこともあるんです・・・。
これまで日本のコメ、稲作、コメ農家は関税で守られてきました。私は、それだけじゃないと思ってます。日本の消費者の心に共有されている、農村風景へのノスタルジー、外国産米への偏見といった感情によっても守られてきたのではないでしょうか。しかし、消費者がその錯覚から覚めた時、正々堂々と勝負できるコメだけが生き残るだろうと考えています。

松屋、豪州産米使用宣言のインパクト 前編

2月13日のニュースで牛丼の松屋が、オーストラリア産米を導入することが報じられました。
また、21日の記事では一部店舗で使用を開始したとのこと。国産とのブレンドだそうですが、7割の店舗で使用するそうで、おそらくうちの近くの店でも食べることができると想像します。

このニュースがインパクトを持っているのは、メジャーなチェーン店である松屋が、外国産米を使用することを正面から宣言したことにあります。なかには「大手外食チェーンなんてもとから外国産米を使ってたんじゃないのか?」なんて感じている人もいれば、「外国産米=インディカ米」と思いこんで強烈な拒否反応を示す人や、TPPの件と混同している人もいるようです。誤解も多いような部分なのでちょっとまとめてみます。


米トレサ法と22年産米の暴落

まず、ここ数年のコメ流通の状況を記してみます。
平成22年10月、23年7月の2段階にわけて米トレーサビリティ法が施行されました。これにより、飲食店などで米飯類を提供する場合も、お客様に産地を明示する義務が課せられました。
従来、外国産米を使用していた業者も使用を避け、国産米へと切り替えがすすみました。

一方、平成22年は史上最悪の米価水準を記録した年でした(田植前にすでに予想されていたことでしたが)。そのためコスト重視の大手チェーン店などでも、安くなった国産の銘柄米が使えるようになりました。
例えば、この年の秋以降、某大手牛丼チェーンは「国産コシヒカリ使用」を積極的にアピールし、いかにも日本の農業を考え貢献しているかのようなイメージの広告を頻繁に出していました。よくウェブサイトの端っこに出ていた広告をご覧になった方も多いと思います。で、確かに、明らかに、このチェーン店のご飯の味は変わりました。かつては「よくこんな、ひねた米をを使うなあ。」とあきれるほどに胸焼けのするクオリティだったのですが、ホントだいぶ良くなりました。


22年度のSBS米

ところで、日本へ輸入するコメには関税がかからないMA枠があります。これが年間77万トンほどですが、大部分は農林水産省が砕米などを輸入し加工用や援助用にまわしています。なんで農水省がそんなことをするのかというと、もし民間業者が主食用に使える米を77万トンのMA枠いっぱいに輸入すると生産農家へのダメージが大きすぎる、そのため国がその枠を使ってしまっているという感じです。
ただし、民間が好きな米を関税なしで輸入できるSBS枠が、77万トンのうちの10万トンだけ用意されています。この10万トン枠の権利はマークアップという関税代わりの手数料みたいなものをいくら払うかの入札で決まるのですが、今年だと1kgあたり60~80円くらいで落札しているようです。
そのSBS米なのですが、米トレサ法と米価暴落の影響で22年度入札は超不人気に。通常は4回くらいで終了する入札も9回まで実施され、しかも最終的に成立したのは10万トンのうち3万7千トンほど。6割以上の枠を残しての終了です。うち主食用になる一般米はわずか1万0,606トン。マークアップも40円台が中心でした。

農林水産省/輸入米に係るSBSの結果概要  http://www.maff.go.jp/j/seisan/boueki/nyusatu/n_sbsrice/


タイトになった需給

22年の秋には過剰に思われたコメの供給でしたが、大手チェーンの大量の契約が原因で、年が明けてすこし経った頃には、特にコシヒカリの需給がタイトになり始めていました。巷では5月あたりには未契約のコメは無くなるのではないかという噂も流れていました。

そんな状況で起こったのが大震災と福島第一原発事件です。当初は福島第一原発による放射能汚染よりも、浸水や倒壊でダメになったコメがどれくらいあるのか、作付け不可能な田んぼがどれだけあるのか、が心配されていました。
また東北からのコメがストップしたため先ずは当座の手当として、後には関東で発生したコメ不足を補うために西日本のコメが流れて行きました。
その後、放射性物質による汚染が深刻だという状況が明らかになると、その年に収穫予定のコメが嫌われて22年産の買い溜めが発生、8月には本当にモノがなくなりました。通常年なら10月から11月に開始される業務用米の新米への切り替えも、9月の刈り取りが始まるとさっそく行われた状態です。
予想されたように米価は20%くらい上げてスタートしました。東日本のコメは忌避され、ただでさえ数量の多くない西日本のコメに人気が集まりました。
ただ、23年出来秋には「需給バランスはむしろ緩いくらいだ、年明けか春頃にはモノも出てきて価格も落ち着くだろう」と見られていました。しかし年が明けても「どうも何時まで経っても高値のままだし、もしかしたらもうモノは市場に出てこないかも」という雰囲気がでてきました。


人気復活のSBS枠

高いだけじゃなく、モノもない。さらに国内、特に東日本のコメは放射能汚染の可能性があること、原発事故以降の諸々の騒動から国内産農産物への信用が崩れてきていることから、海外のコメへの抵抗感も薄らいだと思います。
SBS米は2月10日に行われた第4回までで10万トンの枠すべてが成立しました。豪州玄米短粒種は12月に5,000トン、2月には9,780トンが落札されています。松屋はそのうち4,000トンを使用するとのことです。

後編へ続く・・・

2012/02/25

とある米屋が思うTPP~2012年2月の時点で

近頃、コメ業界周辺での話題、というか心配ごとのひとつはTPPでしょうか。

私はよく「米屋だから当然、強硬にTPPに反対しているだろう」と誤解されがちです。もちろん、生産者の多くにとっては利益よりも不利益になると思われること、またTPPのラディカルさが相当きつく感じられることから、決して賛成ではありません。ですが、コメに関してはTPPへ不参加となったとしても問題の本質は解決しないと思っています。

TPP問題か?コメ問題か?

TPPでコメに絡んで語られる問題の芯の部分は、この度のTPP参加の有無とは関係なく存在していたものではないか、と感じるのです。
私が思う芯とは、コメの「内外価格差」と稲作の「高コスト体質」です。それこそ20年以上前のガットのウルグアイラウンドの頃からずっと、どうにかしないとといけない状態にありながら、騙しだましやり過ごしてきた問題じゃないでしょうか。
これは日本の稲作が本来抱えている問題であり、TPPによって新たに生じた問題ではないのです。むしろTPPの責めにすることで、問題解決から逃げる口実にさえなるのではないか、と思います。

内外価格差

自由化の影響による自給力の低下が懸念されてます。海外のコメが日本市場を席巻し、需要が減少する分だけ日本での作付けが行われなくなり、ひいては生産者の減少、農地の荒廃がおこるという懸念です。
しかし自由化により生産量が落ちるということは、日本のコメのかなりの部分は消費者・需要家に選好されないモノだということを前提にしているわけですよね。瑞穂の国といいながら、日本のコメは素晴らしいと自賛しながら、かくも簡単に海外のコメに負けることを想定している。日本の米と海外のコメとの間には、価格差に見合うクオリティの差はないのが現実だとすれば、まずそこが問題ではないでしょうか。

ところで、世界の平準化により、割を食うのは日本の庶民だと私は考えています。庶民が担っていた仕事、受けていた報酬が途上国の労働者に流れ、彼らと競合状態にあり、それに従い日本の庶民の所得が下がる。従来は日本に住んでいるというだけで受けていたメリット(開き直って言えば「既得権益」)が消えていくわけですよね。一方、米価は下落傾向にあり(H23年はイレギュラーとして)、20年前から見ると2~3割くらい安くなっていますが、でも恐らくそれは庶民、とくに都市部の低所得層の凋落に追いついていない気がします。

しかし、いずれ平準化が進むことにより、日本円が今より弱くなり、途上国と日本の労働者の賃金の差が縮まるなら、コメの内外価格差も消え、あるいは海外のコメは国産に比べて割高になっているかもしれません。そうなった時、私たち国民が過度の負担なく食糧を調達出来るためには、国内の稲作にしっかりと残っていてもらわなければ困るわけで・・・。現在と将来のギャップをどう埋めて稲作を守るのか・・・。

ニーズとずれた高コスト

現在のコメの作付けシェアはコシヒカリが4割近く。それにひとめぼれ、ヒノヒカリとコシヒカリ系統の良食味な品種が続きます。しかし私には、消費者の需要を反映しての結果というよりも生産者の「高く売れるコメ(JAの設定価格が高い品種)を作付けしたい」という気持ちの表れに見えます。数年前、「売れるコメ作り」という言葉をよくききました。その時に感じたニュアンスは、「高くても売れる、付加価値(食味、安全性、環境保全性)のあるコメを作ろう」というものでした。「多くのお客さんが価値を認める結果、高くても売れる米」ではなく、「高い値段を付ける理由が説明できる米」という感じで。しかし、その層の需要以上にそこへ向かって行った生産者の数が多かったような・・・。
コメは年に1回しか作れない故に、生産地サイドが消費者の動向に機敏に対応することは難しいのかもしれません。でも、タイムラグがでるは仕方なくても、自分の思い入れだけでなく、食べる人、最終的にお金を出す人のことを想像してみてほしいと思います。実に様々な嗜好があり、懐具合も人それぞれなんですから。

米屋と農家は・・・

いずれ直視しなければならない現実にどういうやり方で向き合うか、そのひとつがTPPだと思います。しかし上記したように、TPPのラディカルさはキツイ、もう少し緩やかな方法じゃないと日本の稲作はついていけない。よって「決して賛成はできない」というのが、現時点での私の立場。
ですが、農業あるいは商業の現場にいる私達にとって今は、呑気に賛成だ、反対だと議論しているときではなく、TPP後の生き残りを模索することにエネルギーを傾けるべきでしょう。仮にTPPに参加しなくても、この流れは変わらないのですから。


   

2012/02/19

お米の研ぎ方が悩ましい件について

「お米の正しい研ぎ方」ってお客様からときどき尋ねられます。皆さん結構関心があるというか、なんか解りにくい部分なのでしょうね。他所の家がどんな研ぎ方してるか見る機会も滅多にないでしょうし。
私の意見としては、結局は炊きあがりが美味しく感じられれば、それで正解ではと。業務用でなく家庭でなら、神経質にならずに大らかにやっていいのじゃないかな、と思ってます。

でも、それじゃあ不安というかスッキリしないのでしょうね。
また、なんでこんな質問がでるのかも、なんとなく解ります。
料理本、雑誌、テレビ、ネットなどいろんな所でお米の研ぎ方が説明されていますが、けっこうバラバラ。真逆の意見が併存してたりします。

その理由を考えてみました。

強くしっかり研ぐのか、優しく洗う程度がいいのか

昔の料理本などでは、手のひらの付け根の部分を使ってゴシゴシ、ギシギシと強くしっかり研ぐよう指導されていたようです。今でも体重をかけるようにして強く、時間をかけて研いでいる年配の方もいます。
しかし近年、やさしく手早く、という研ぎ方が良いとされるようになりました。理由としては「精米技術が進歩したため強く研ぐ必要はなくなった」がよく挙げられていますが、加えて品種の遷移、栽培方法の変化もあるでしょう。現在作付面積1位で4割ほどのシェアをもつコシヒカリも戦後の品種です。続くひとめぼれヒノヒカリもコシヒカリの系統。数十年前にメジャーだった品種と今とでは状況がまるで違います。また栽培時の肥料や収穫後の乾燥の方法も変わってきています。
そのため、昔のような研ぎ方では米が割れて花が咲いたりベチャになってしまう場合がある。で、過剰な米研ぎによる炊飯失敗のクレームを受ける立場の米穀店が、特に積極的に手早く軽い米研ぎをすすめるようになったのではないでしょうか。また、何時まで経っても水が透明にならないと言って、しつこく時間をかけてやっていると胚乳部分のデンプンまで溶け出してしまいます。
ただ、これを極端に解釈してしまう方もいらっしゃるんですよね。水につけてジャバジャバっと、それこそ「すすぐ」っていう程度で終わらせてしまう。これじゃあぼそぼそして艶のないご飯になる可能性があります。ある程度は研いでいただきたいです。
精米は糊化層という膜でコーティングされたような状態といわれています。その膜を研いで剥がすのが米研ぎの目的。刃物を研ぐように、適度な水で、あまり力をかけず、米粒同士が摩擦しあって磨かれるイメージが必要だと思います。

ザルにあげるべきか、あげてはいけないのか

まず、「ザルあげ」といった場合、「ザルにあげた状態で吸水させる」ことと、「ザルにあげて水を切る」の二種類の意味があります。「ザルあげ」について話されるとき、この二つが混同されがちな様です。

まず「ザルあげ吸水」について。
これは、米を研いだあとザルにあげて、その状態でしばらく放置して吸水させる方法です。
今も料理店では「ザルあげ吸水」は普通ですね。ただこれ、家庭で5合くらいを炊飯するのと、お店で3升ぐらい炊飯する場合とでは状況も違ってくると思います。
だいたい、米穀店や米穀店組合が消費者向けに出すメッセージとしては「ザル上げは不要」というものが多いです。それは、おそらくこういう経緯からじゃないかと推測します。

  • 家庭の炊飯で米が乾燥してボロボロになるほどザル上げしたために、ベチャや団子になったりして、それが米穀店へクレームとして入ることが多かった。
  • また夏場などは雑菌が繁殖し腐敗しないように衛生管理が不可欠。
  • 要は炊く人が加減を見極められ、管理が出来れば問題ないが、米穀店としては不特定多数へ向けたメッセージでは安全をとった。

プロが炊飯する場合は、そこらへんの見極めや管理も問題ないでしょうし、3升とかの量になれば、すぐに乾燥することもありません。米粒の外側をベタつかせずに芯まで吸水させるには、この方法が適しているともいわれています。
家庭の少量炊飯でザル上げしながら吸水させる場合はザルをボールの中に入れラップをかけるなど乾燥を防いだり、夏場ならそれを冷蔵庫に入れたりの注意が必要だと思います。

「ザルにあげて水をきる」
米を研いだあとザルでしっかりと水切りするのとしないのとでは、炊きあがりに差がありますね。気のせいかもしれませんが、ザルで水切りしたほうが、さっぱりとして美味しいと感じます。
それと、昔は今の炊飯器の内釜みたいに丁寧な目盛なんてついてませんでした。吸水させたあとの米の容量を基準に加水量を決めたりしてた。その意味でも年配の方にとってはザルあげは当然なんだと思います。
私は家庭では「ザルあげ吸水」は不要だと思いますが、「ザルにあげて水をきる」ことはお勧めします。

結局

米を研ぐってことは、
  1. ホコリや異物などを洗い流す。
  2. 米粒表面の糊化層を研いで落とす。
の2つが目的だと思います。
具体的には、
  1. の洗い流しは、たっぷりの水を使ってさっさと終わらせます。米は最初の水を激しく吸います。この時、糠臭さまで一緒に吸い付かせないように、水は一瞬で捨てます。無洗米でも、この作業はやったほうがいいと言われています。
  2. これが所謂、米研ぎ。米が泳がない程度の水量で、軽く磨いていきます。刃物を研いだり、サンドペーパーをかけるときに水を使いながらやりますが、ここでの水も同じ意味。力を余り加えずに、米粒同士の摩擦で磨くようにします。
まあ、あまり細かいことにとらわれず、上記の2つの目的を果たせて、かつ米を割ったりしない程度なら、それでいいというのが私の考えです。

2012/02/18

【書籍】「ドキュメント 隠された公害―イタイイタイ病を追って」 (ちくま文庫)鎌田 慧

本来なら今頃、コメのカドミウム濃度にもっと消費者やメディアの注意・関心が向けられていたハズです。食品衛生法に基づく米のカドミウム基準値が従前の「1.0ppm未満」から「0.4ppm以下」へ改正され、今から1年前の平成23年2月に施行されているからです。

この改正に先立ち、生産地サイドではカドミウムを吸収しにくい栽培方法が指導され、単位農協が自主検査の体制を整えたり、サンプリング地点を大幅に増やし可能な限り事前ブロックできるようにするなどの準備がすすめられていたようです。が、改正法施行直後に震災が発生、福島第一原発由来の放射性物質による汚染が大問題で、消費者やメディアはカドミウムを気にするどころではなくなりました。

私が、この ドキュメント 隠された公害―イタイイタイ病を追って (ちくま文庫) を読んだのは平成23年7月。世間は原発事故による放射性物質による被害と事実の隠蔽、情報操作にまつわる不信であふれていた時期です。この本を読みながら、その内容と現実に進行している原発問題との間に強いデ・ジャブをおぼえました。

この本は40年以上前、富山に続き対馬でも発生したイタイイタイ病を、当時朝日新聞社の記者だった著者が取材したものです。対馬のイタイイタイ病の原因は高濃度のカドミウムを含むT社鉱山からの排水ですが、たいした産業もない田舎ではこの鉱山は特別な存在。地元住民の大部分は鉱山と何らかの関係があるし、T社は地元に金を落としてくれる唯一の企業で、T社のおかげで鉱山の近くの集落は島内の他の集落よりも高い生活水準を享受していたりします。そんな状況で著者は取材をすすめるのですが、地元の人間は非協力的で、病気や汚染の存在すら否定されるわけです。
地元に金を落とす施設を失いたくない自治体、生活のため汚染被害を否定したい人たち、金で篭絡された地元有力者、加害企業とズブズブの町長や議員たち、負うべき責任を無いことにしたい企業、カドミウムは怖くないというプロパガンダ、強弁や恫喝、イタイイタイ病をただのリウマチとみずから言い聞かせる人びと、などなど。最近どこかで聞いたような話がでてきます。

ただ40年前の著作ということもあり、昔のインテリ左翼的な上から目線というか、ところどころに独善的な態度を感じさせるのが残念です。また労組は正義だという前提で描かれているようなところもあり、そこも少しひっかかりました。しかしそれらを除けば、社会がどのようにして窮屈で風通しが悪いものとなり、人びとがスポイルされていくのかが描かれた非常に興味深い本でした。
読みながら思ったのは、公害隠ぺいの仕組みって変わらないんだなと。公害問題に限らず、ですかね?

ところで唐突な余談ですが、最近の「工場萌え」について。オブジェとしての工場の魅力は、私もわからないではないです。造形に惚れ惚れする気持ちもよくわかります。
でも、かつて酷い公害をまき散らした工場なんかでも、まだそのまま存在して操業してたりするんですよね。例えば本書に登場するT社のA工場など、その特徴的な立地からファンも多いみたいです(もちろん公害は改善はされているでしょうが。)。
で、そんな工場を、過去の歴史と併せて見ることなく、ただスバラシイと賞賛するってどうなんでしょうか。過去を承知の上で鑑賞するならともかく、知らないで楽しんでいる人もいそうで。そういうユルさって、高度成長期の公害問題や今の原発問題と無関係ではないのでは、なんて思っています。