2017/11/22

中外食のコメの価格とか

低価格帯のコメが高騰していますが、中外食から消費者への影響が目に見えるようになり、テレビのニュースワイドショーなどでも取り上げられる話題となっています。

曰く、高騰の原因として、
業務用米農家減少の一つの理由としては減反政策の廃止である。国が農家を守ってくれる政策で、米を作る量を国がある程度調整し、米の価格を調整してきた。その際は使わない田んぼに対して補助金を支給する制度があったがその補助金支給をやめた。すると業務用米を作っている人は高く売れる家庭用米を作って利益を出して方が良いのではとのことで業務用米を作らなくなった。もう一つの理由は2014年に飼料用米制度が施行されたこと。飼料用米は圧倒的に安い値段ではあるが家庭用米と業務用米は今後補助金が出なくなる。しかし飼料用米は最大10万5000円も手厚い補償金があるため飼料用米を作る人が多くいるためである。( [直撃LIVE グッディ! (2017年11月21日放送回) ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)

以下は私なりの考えです。

上記引用では生産者が業務用から家庭用に切り替えたため、という説明がありますが、業務用(中外食向け)から家庭用という動きもないわけじゃないでしょうが、どうなんでしょうか?家庭用と言ってもスーパーの特売コーナーのコメと業務用のコメの境界は曖昧です。

また、東北・北陸各県からのブランド米デビューが盛んであることから、米どころの生産者が高価格帯にシフトした結果と分析する記事も目にしまた記憶がありますが、まだ今年は各県とも試験的な作付け面積であり、それほどのインパクトがあるか疑問ですね。また食味で競う高価格クラスは業務用以上に小さなパイを取り合う難しい市場でしょうし。

上記リンク先の番組では触れられてないようですが、法人化や高齢化により安価な未検査米の庭先集荷が減ったのではないか、だとすればそれも原因の一つではないかと思っています。
余談ですが、法人化や高齢化による離農は縁古米の流通量へも影響するでしょう。その代わりがふるさと納税の返礼品でしょうか。取立て美味いわけでもないが、別にそう悪くもないというクラスのコメ。業務用の一部、スーパーのコメと同じ雰囲気のコメ。お徳に貰えるのだからそれでも文句はない、という意味では縁古米に近い。

そして、飼料米。
この数年の作付状況からして、これが一番の原因でしょう。コメから飼料への転換は、食料自給率を上げると同時に、農地を保全しながら過剰に生産されがちなコメの需給を引き締め価格を維持するのが狙いでしょう。
政府による過剰米の買い入れや隔離による価格安定よりは余程ましだと思いますが、それでも補助金の過大さや政策の継続に対する不信などの問題があります。また必ずしも飼料米専用品種でなければいけないというわけでもなく生産者が作りなれた主食用品種が飼料米としてつくられることもあり、その結果税金で家畜にコシヒカリを食わせる一方、納税者たる国民はファストフード・チェーンで輸入米やくず米ブレンドを食べるという現象も。また補助金の動向次第では主食用米への逆流入からのコメ暴落、コメ生産崩壊という心配も消えません。将来的には100万トン以上の飼料米生産がめざされているわけですが、この100万トンが価格安定のバッファとして機能するのか、はたまた不安定をもたらす存在となるのか。

まあ、生産コストからみてこれまでの価格が安すぎた。しかしそれ以上に供給が過剰だったため、需給からは決して安価ではなかった。安すぎる米価をそれが当たり前の価格と実需者が思い込んだ責任の一端は過剰作付けを続けてきた生産者たち自身にもあると思います。
従来の価格を適正と考える実需者やそれを前提としたサービスを受けていた消費者は、これ以上の米価の上昇に対しては淡々と輸入米を求めてくるでしょう。目先の価格に一喜一憂していると外国産米に業務用のシェアを奪われることになりかない。
今のところ一部の生産を飼料米へ隔離することで見かけ上は需給のバランスが取れてきました。ただ、飼料「米」である限り、潜在的にはコメ生産の過剰は解消されていないでしょう。いずれは飼料生産者とコメ生産者と、別の道に分かれる必要があるのではないかと思います。

最後にボヤキ。
現在は、中外食業者が望む価格と品質レベルのものが、求められているコメ、あるいは売れるコメとされています。まずは価格ありきで品質はそこそこ。テクスチャーはそこそこでコメの甘味や香りはない、そんなコメが「売れるコメ」とされているようです。美味いとは言えない、おにぎりの塩加減や弁当の濃い味のおかずで押し込む腹を満たすためのご飯です。
また学校の米飯給食。「地産地消」やら「和食文化」などと通りの良い言葉を使えばいいというものではないでしょう。食べ物は、口に入れるモノそれ自体が意味を持ち、雄弁に語るのです。どうも学校給食の炊飯を食べて育った子供たちはご飯の甘味や香りを知らないようなのです。とんだネガティブキャンペーンになっているのでは?
中外食、給食の不味いご飯こそが、コメの消費を下げた主犯ではないかと思うのです。


2017/11/18

農産物検査と未検査米

どうも世間的に、未検査米というものはなにか劣悪なコメとか、違法なコメだとか不当に認識されているのではないでしょうか。

そもそも未検査米とは農産物検査法の品位等検査を受けてないコメという意味です。これを受検して検査証明書ももらったコメが検査米。そして、この農産物検査法の検査証明書(例えば30㎏/袋の荷姿なら袋に印刷されたテンプレに内容が記入され印鑑が押してある)が、精米・玄米の一般小売での食品表示法食品表示基準で規定されている原料玄米の「産地」、「品種」、「産年」の表示根拠として流用されています。
ちなみに農産物検査法には「成分検査」の規定もあり、コメの場合はアミロース、たん白質の割合が検査項目となっていますが、これを受けなくても未検査米というわけではありません。品質チェックのために産地や精米業者が自身が持つ分析計を用いての非公式な分析は日常的にいたるところで行われてますが、農産物検査法の登録検査機関による成分検査を受けてるコメはあまりないでしょう。

もちろんこの検査を受けていないコメを販売することは違法でもなんでもありません。上記のような誤解が生じたのは、平成7年に廃止された食糧管理法時代に違法だった「ヤミ米」の概念がいまだに引きずられているためでしょう。国が主要食糧として位置づけるコメの法律上の扱いが大きく変わったわけですが、国民一般への周知はあまりなされてないようで二十数年たった今でも勘違いが横行しています。せいぜい農家や米穀店による地道な説明くらいしかない。むしろ国というか農水省は未検査米=違法という誤解が解けないほうがいいと思ってるんじゃないか?と下衆な勘繰りも。

ただし未検査米自体は違法でも何でもないのですが、これに「品種」「産年」を表示して販売することは食品表示法違反(産地は米トレサ法でむしろ表示が必要)。よく農家が未検査米を品種や新米をアピールしながら販売していますが、あれはアウト。産地品種銘柄に入ってない銘柄をうたっている場合なんてあきらかにアウト。

農水省は農家は野放し状態にしてますが、米穀店が同じことをすれば大きく報道されるというダブルスタンダードが存在します。よって米穀店が潰れるリスクを冒してまでこれに違反する行為はまずしない。しかし、そのために面白いんだけど売りにくくて手を出せないというコメがでてくる。珍しい品種だったり、変わった取り組みをしてる生産者だったりのコメでも、未検査であれば「未検査」とか「複数原料米」などのネガティブなイメージの文言を一括表示欄に記載する必要がありますし、米袋に品種名を表示することも許されません。

もちろん消費者を騙すような虚偽の表示は許されるものではないし、それがまかり通るような法律であって良いわけじゃありません。取引価格の高い確立されたブランド名を騙るような悪質なケースは取り締まるべきでしょう。しかし、そんな詐欺とか不正競争防止法違反といえるようなケースと、品種の検査を受けられないマイナー品種の品種名の表示とを同じように扱っていいものか。この制度が明るく活発なコメ消費の足を引っ張っていないか。と、そんな風に感じるわけです。

29年産の高騰について

コンビニ等でおにぎり値上げのニュース。
おにぎり値上げ 業務用米高値 価格に転嫁 コンビニスーパー

リンク先は日本農業新聞の記事がヤフーニュースに転載されたものです。
けっこうな量の読者のコメントがついており、関心の高さが感じられます。コメントのごく一部しか目を通してませんが、コメ業界、消費者、生産者との三者間の認識の違いも面白いです。

米穀店的には当然に予想された値上げですが、コメが高騰している事実を知らない消費者が多いこと、コメが売れない問題と業務用米の不足の関係がうまく理解されてないこと、昨年以前から飼料米政策に起因する低価格米が不足気味であることが一般には知られていないこと、作況指数からみて値上げは不可解と感じられていること、などなど。
そして消費者のみならず生産者も流通についてはあまり確かな知識を持っていないということ。

そして農家の側からすれば高くなったと言ってもまだまだ安くてやってられないレベル。消費者の側からすれば生活を苦しめる不条理な値上げ。流通からすると仕入れは上がるのに売値に転嫁できない、とりあえず来年以降は落ち着くだろうから今年は何とか生き延びたい。
三者とも苦しいばかり。たちの悪い大岡裁きです。

わたしはこの状況は、産地の衰退以上に消費地が消耗していることの表れだと解釈します。
かつて昭和時代の生産地の衰退は若者の都市部への流出によるものでした。今は消費地の衰退と生産地の衰退がリンクしているように見えます。

都市部が農村部に対して経済的に優位だった時代には、都市住人による農産物の購入や観光消費、国や自治体の財政などを通じて消費地が生産地を経済的に支える形が自然に可能でした。今でも農村部で村おこし的なことを考えている人たちのなかには、そういう構造を前提にしているの人も多いのではないでしょうか。
しかし、今の消費地・都市部にはこれ以上生産地・農村部を支えるだけの力がない。もはや打ち出の小づちではないのです。すべての農村部を支えられるほどの力量はないのです。
都市部の貧困を目の当たりにすれば消費地の購買力をあてにすることの難しさが理解されるでしょう。むしろ都市部を含めた日本全体がインバウンド消費などと、外国人の財布をあてにした村おこし的なものに希望をつないでいるくらいです。

都市部消費者の購買力の低下。これから目を逸らすなら、消費者、中外食業者などの実需者が外国産というもう一つの選択肢を選ぶのを後押しすることになりかねないでしょう。