2012/03/26

最近の「6次産業化」って何を目指しているのだろう?

「コメ」あるいは「農」にまつわる問題が話題になるとき、二つの異なる問題がごっちゃにされがちな気がします。
一つは、産業としての農業。各戸が順調に経営でき、税を納めて、国民の需要を満足させ、さらには輸出も可能な農業。どうしたら、そうできるのかという問題。
もう一つは、農村、農家の存続。消滅していく集落、継ぎ手のないイエ、地域の特色ある伝統文化をどう守るのかという問題です。

わたしは、これら二つは相反するものと考えています。一方を満足させるには、一方を犠牲にするしかない。
これまでの農政はどちらへも中途半端に応え、バランスを取りながらやってきた。騙しだましに、問題を先延ばしてきた、とも言えるでしょう。どちらかが完全に犠牲になることもなかったけど、どちらの問題も解決されていません。

このように農政を認識しておりますので、近年の「6次産業化」ブーム、国の支援などについても、これまでのモラトリアムの延長くらいに捉えていました。
そんな先日、業界紙「商経アドバイス」紙で気になるコラムを読みました。
曰く、「餅屋さん」が集まる懇親会に参加したところ、「6次産業化」が話題になったが参加者は一様に怒っていた。なぜ怒っていたかというと・・・
◇公平な競争で負けるのならば文句はないが、ライバルたる農家は補助金付き“特別待遇”での6次化展開。だが、もち米・餅・和菓子を知り尽くした「プロ中のプロ」である彼らが本当に憤っていたのは、そこではなかった。本業の彼らから「餅の神様」と呼ばれる社長いわく「農家の手作り餅というイメージだけで売れるのかもしれないが、餅のことを何も知らず、深く学ぼうともせず、薄っぺらな製品が多い。本当に良いものを作ろうという気があるのか疑いたくなる。やるなら本気でやれと言いたい」。 (「商経アドバイス」2012年3月12日「時の声」)
そして、もし6次産業化というものが補助金付きで「悪化が良貨を駆逐する」ものならば、餅屋さんだけでなく消費者や米穀業者にとっても願い下げだろうと締められています。

ここ数年のブームに乗り遅れまいと無理やり企画したような薄っぺらな6次産業化がらみの事業ってありがちですね。
もちろん、素晴らしいモノ、サービスを提供されているところも多々あります(20年、30年とブームに関係なく取り組まれているところも沢山あります)が、全体として見て補助金を含めたこのお祭り騒ぎが価値ある何かを残すとは考え難いです。これらの事業が国民の食を支えるなんてことは考えられないし、地域経済にどれだけ意味があるかも疑問です。
補助金をつぎ込んで、なにを目指しているのかよくわかりません。

補助金もらって稼働率の低い中途半端な機械を買い込んで、規模に比して過剰な数の人間が絡んでくる。スケールの小さな(採算取れないだろうと想像される)主体が、わさわさと数ばかりは沢山。
それぞれが独自に設備を持ち、経費を負担する。

今後、あまたある事業の中から、真に成功事例といえるケースも出てくるだろうとは思います。いくつか成功例が出てくれば、それでヨカッタということなのかもしれません。
私が子供のころは小さな食品メーカーが多数ありましたが、競争、淘汰により衰退しました。6次産業化認定のリストを見てると、そのような有象無象の小規模メーカーの群雄割拠をちょっと連想したりもします。ここで競争が起きると面白いことが起こるかもしれませんね。
ただ、全員の「共存」が農業界の譲れないテーマである限り、それはないのかもしれませんが。

結局、今の雰囲気からは、6次産業化=「農業では抱え込めない農村の過剰な労働力を、とりあえず世代交代でそれが消滅するまでの時限的な受け皿」って印象をもってしまいます。
しかし、農家、農村はこれで儲けられなかったとしても、建物、機械設備、コンサルティング、ブランディングなどで関係する人たちはきちんと儲けているのでしょうね・・・。

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