2014/12/01

平成26年産米の価格について雑感

 記録的ともいわれる今年のコメの価格について、今更でもありますが、感想などを徒然に。

 26年夏の過剰な古米在庫と26年産価格の下落は、昨年来巷間で予想(懸念)されていたままの展開でした。生産者にとっては新米出荷時に初めて下落のショックを受けたのかもしれませんが、流通では既に今春から大量出血しながらの在庫処分が始まっていました。
 情けない話に、一部ワイドショーではコメ価格下落を"明るいニュース"として報じてたものもあったそうで・・・。どうも人は、モノの価格が下がる理由として、何かイノベーションが起こったり、どこかで効率が改善されたり、なんかの影響で資材購入コストが下がった、などを想起しがちなのかもしれません。あるいは、テレビのドキュメンタリー風番組で、大規模で粗放なやり方により1俵数千円でもペイできる稲作なんてのを見て印象に残っている人もいるでしょう。しかし、現実に流通するコメのほとんどは、イノベーションとは縁がないし、急に今年になって効率化が進んだわけじゃない、ご覧の円安のため原油安でも燃料、資材は高止まり。つまり、この度の価格下落は単なる叩き売り、ダンピングでしかありません。
 生産者も流通業者も苦しむばかりの相場崩壊。その原因についてはJA概算金の設定や、農政に求める向きもあるようですが、根本は過剰な生産、過剰な供給だと思います。


概算金


まず、よく聞くのが、JAが概算金を下げたのが悪いという声。
 しかし率直な感想として、需給からは(あくまでも需給からです)今の価格、これこそが現実ではないでしょうか。
 一昨年、昨年とJAはかなり強気な、割高感の強い価格を設定しました。一昨年の独りよがりともいえる価格は消費者離れや業務筋での使用量減を加速させ、昨年の価格はそれよりは下がったものの需給バランスをとるにはまだまだ不足でした。それが販売不振の一因となり今夏の大量在庫を招き、溜まっていた価格下落への力が噴き出したという流れでしょう。
 もしJAが悪いとすれば、一昨年、昨年の強気な価格設定でしょう。
 しかし、そもそもの長期的な米価の下落傾向をJAの責めにする農家もよくいますが、この手の批判にはいささか違和感を感じます。むしろJAの共同販売、JA価格の存在により一般的なコメの価格は実力よりも高く維持されていたのではないでしょうか。大多数の農家はJAのおかげで現実を直視せずに済み、実力よりも過大な価格で販売できていたのでは。
 また、JA価格が全体の下支えとなることで、JAに出荷せずに独自の販売している方々もその恩恵は受けているはずです。もし、JAが存在しなければコメ農家はもっと早くから競争にさらされたことでしょうし、あるいは今頃は既に適正な生産量、生産者数へと淘汰が行われ、価格的にも安定期に入っていたかもしれません。その意味ではJAは罪な存在でしょう。


縁故米


 農家から親戚知人に譲渡されるコメを縁故米と呼びます。広義には職場の同僚などに有償で売られるコメも含まれますが、とくに価格への影響が大きいのは無償譲渡米と呼ばれるものでしょう。無償譲渡米については以前の投稿で紹介した書籍があります。
 
 ちなみに非課税輸入枠のミニマムアクセス米。国内産米価格への悪影響を避けるために、農水省による独占的な国家貿易で輸入されています。その量はSBS米10万トンも含めて76万トン、国内コメ生産量の約1割です。しかるに、先の書籍によれば流通量の1割近くが無償譲渡米、震災直後の報道では3割が縁故米という記事もありました。無償譲渡という究極のダンピング、それが流通の1割もあれば価格に影響しないわけがないでしょう。
 生産者や業者との会話の中で、「今、”担い手”に相当する農家ほど苦しんでいる」という話がよく出ます(たとえばこの記事も。)。能天気に「兼業や年金趣味農家が退場する機会」なんて言ってる人もいますが、トンデモナイ。
 プロ農家、腕のよい農家を支援する体制が整わないうちに起こった、ダンピングの我慢比べが現状です。品質/価格で競争する仕組みに至っていない。
 産業競争力会議等の議論も品質という評価軸は無視され続けてきたように感じますし、そもそも消費者も含め国民のコメの品質を見極めるリテラシーが不足しているのかもしれません(それに乗じるような、売り方ばかりに熱心で腕の方はサッパリという農家が増えているような気もするのですが、それはまた別記事で投稿しようかと思ってます。)。


とまらない過剰な生産


消費の場からは、もうずーっと前より「もう腹いっぱいだ、そんなにコメは食えない」というシグナルが送り続けられてきました。農水省の資料「日本農業新聞」からでも、あるいは一般紙やテレビからでも、生産者がその事実を知る機会は充分にあったはずです。でも、過剰がとまらなかったのは何故か。
 私はこう捉えてます。
 確かに年々生産量は減少しています。ですが、それは上から割り当てられた生産調整と高齢化・後継者不在による自然な減少との結果でしかない。生産者が状況を見極め能動的に動いた結果ではないし、なにより生産者自身が満足できる価格が形成されるまでに供給が絞られたわけじゃない。
 私は、ここがJAの罪だと思います。そして政治の罪。
 つまり、消費者がもう要らないよっていってること、確実に余るってことを知っているくせに、また売り切る自信もないくせに、まるで子供に甘いバカ親のようにJAは生産者がつくったコメをニコニコと引き受ける。
 そのため流通業者と接点の少ない農家は、自分のコメに下されている厳しい評価、現実について実感を持てず、よって真剣に進退を検討することもなく、ただ高齢化などにより二進も三進もいかなくなるまで惰性的につづける。
 そうしてJAの倉庫に生じた過剰なコメは、ダンピングしたり、流通業者にねじ込んだり、あるいは最終的には国に押し付ける。高度成長期に起源するだろうJAや国のこういった姿勢が現在のコメ生産の倦怠をもたらしたのではないでしょうか。
 ちなみに、農家が国の農政が悪いと批判する時は、国がこの甘やかしをやめようとしたことについて文句を言ってる事が多いようです。一方、流通業者や消費側が批判するのは、昭和30年代から始まったこの甘やかしがいまだに存在していることについて。そんなわけで、生産側と消費側がともに農政を批判していても話がかみ合わないことがある。それぞれ逆のことを考えているわけです。


ついでに・・・ 在庫の問題


 「米に関するマンスリーレポート(平成26年11月7日)」(PDF)の51ページによると、来年6月の民間在庫予想は233万トン。1年間の消費量の約3割です。南九州の早場米出荷は7月末に始まるでしょうが、本格的なシーズンまで2~3カ月残しての在庫と考えれば、安全保障の観点からは多いとも思えないかもしれません。でも、業界的にはこの数字は高い水準だといわれます。
 これ、新米が出たら国民みんなが新米を食べようとするからじゃないでしょうか。かつては、まず在庫の古米を食べつくしてから新米を食べ始めたと聞きます。自然なことだし、無駄なくしまつめのよい消費の順番だと思います。この風習は食糧を無駄にしないだけでなく、コメの価格の安定にも寄与するのではないでしょうか。今、みんながみんな新米を食べようとするのは、それが道徳的な気分だけでなく価格的にもハードルが下がっているからでしょう。特に今年のような親不幸相場ではなおさらに。
 つまり、新米購入の価格的ハードルがあまりに低すぎるのも問題では? と感じているのです。シーズン初っ端から新米を食べることは結構贅沢なことなのだ! と認識してもらうために、古米在庫がまだ多い間は新米価格にプレミアムがついてしかるべきではないか、と。古米をダンピングして叩き売るのではなくて。
 しかし、現在の慣習や産地間競争、業務用販売、スーパーやネットを舞台としたリンボーダンスのような価格の潜り合いがある以上、非現実的な夢想だとは解っております・・・。ただ、最低水準価格の業務用米が、10月くらいから新米を使用できるような現状は異常なことだと思います。

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