2018/10/27

新米と古米 続きの話

 前回につづけて新米と古米の話です。

 古米についてよく耳にするのが、「古米は水をよく吸う」とか「古米は炊き増えする」という話です。若い人はあんまり言わないみたいですけど、ベテランの料理人さんは普通に口にします。
 一方、古米は組織が劣化して吸水力が落ちる、という説明も聞きます。
 ややこしい、どういうことなのか?

 「古米はよく吸水する」の根拠としては「古米は新米より乾燥がすすんでいる」と説明がされます。新米よりも水分が抜けているので、その抜けた水分ほどより多く吸水する余裕がある、新米よりも伸びしろがあるという理屈です。生米との重量比、容量比で新米よりも古米のほうが増え方が大きい、つまり「古米は炊き増えする」。細かいところですが職業人としての料理人さんにとっては、この古米と新米のコスパの違いは常識的な知識となっているようです。また、天日乾燥しかなかった時代、新米は乾燥不十分であることが多かったようで、より炊き増えの程度も明確でそれにより古米が高く評価されたりしたようです。

 例えば1969年に出版された沢田徳蔵『うまい米』から戦前の「追古」についての記述を引用します。追古とは1シーズン前の古米に対して1~5月の期間に限定して使われた呼称だそうで、「ついこの間」古米になったという意味でツイコとのこと。昨シーズン平成29年産のコメは年明けて平成31年の1月から5月までの間は追古ということになります。

戦前の自由取引時代には、新穀がとれて古米扱いされるようになっても、梅雨前までは「追古」といわれて値段も新穀と変わらず、筋肉労働者でないサラリーマンや老人には追古のほうがかえって喜ばれたものである。
・・・中略・・・
これは味も新穀ほどにしつこいことがなく、かつ追古の方が炊きぶえするので、同じ三杯食べても実質は追古のほうが量が少ないわけで、腹ぐあいがよかったのである。
・・・中略・・・
追古が炊きぶえする理由は、一年間保存されているうちに(じょうずな保管でないといけないが)水分がいくぶん自然蒸発して乾燥がよくなっていたからでないかと私は思っている。
沢田徳蔵「うまい米」

 蒸発した水分の差であれば、実質的なデンプン、タンパク質、その他の量は変わらないのだから、「同じ三杯食べても実質は追古のほうが量が少ないわけで」というのはちょっとわからないのですが、実際に体感して腹ぐあいがよかったのでしょう。

 もうひとつ、敗戦直後の農村を描いた横光利一の「夜の靴」の一節です。コメが不作となり村内のほかの農夫たちがつぎつぎとコメを持っていそうな久左衛門に借りに来る。うんざりした久左衛門が愚痴ります。

「死ぬ、死ぬ、いうて、朝からもう、来るわ来るわ。米を貸してやるのは人情だ。けれども、毎年貸してばかりで、借りる方は、借りるのを当然だと思うて有難がりもしやしない。今年も貸してやるとなると、借りたものが助かって、貸したものが死ぬじゃないか。死ぬなら共倒れになりたいものじゃ。借りたものだけ助かって、おれだけ死ぬのはおれはいやだ。」
「それはそうだのう。」と一人がぼんやりした声でいう。
「もうこうなれば、誰も米がないということにするより仕様がない。あれがある、これがないといっていたんでは、始まらないじゃないか。あっちから貸せ、こっちから貸せでは、もうおれの米だって、いくらもないわ。新米が出たら返すというが、古米を貸して新米で返されたんじゃ、一升五合と一升二合との替えことで、話にもなるまい。古米は古米で返して貰わねば、ま尺に合わぬわ。」
 なるほど、新米一升と古米一升では、炊き増えする古米を貸したものの方が、はるかに損をするということ。
横光利一「夜の靴」

 ちょっと大げさなのでしょうが、久左衛門さんの言葉通りとすれば、古米と新米で20%もの差があることになります。今の新米、古米でこんな明瞭な差はありません。現在では、水分値から考えても、新米でも15%超えることはなく、古米でも13%を下回ることはまずありません。実感できるほどの炊き増えはもう過去のものと思ってよいのでしょう。


 一方の、「古米は吸水しない」の説明は、「古米化すると細胞壁をつくるセルロースなどの成分が結合して水が侵入するのを邪魔してしまう」という話。水がしっかりと吸われるまでに時間がかかるということでしょうか。
 よく「古米は吸水率が悪いので水加減を多めにする」という説明があります。しかし吸水率が悪いなら水加減を増やしたところで水蒸気や飯粒表面の付着水が増えるばかりではないか?との疑問が浮かびます。吸水率、吸水力を浸漬中にコメが吸える水の限界量や吸水スピードとするならば、いくら水を増やしてもコメの能力には関係ないはずです。でも、古米は水を増やした方が良い結果になることは皆さん実感されているのではないでしょうか。「吸水率云々・・・」という説明がよろしくないのか?
 炊飯は加水量を増やすことで調理時間を延ばすことができます。この調理時間の延長に水を増やす意味があると思っています。吸水率の低下だけでなく、アミラーゼ等酵素の活性低下、水分率の低下など、時間をかけて吸水、糊化するための加水量の増加ということで、とりあえず私自身を納得させておきます。

  

2018/10/26

新米の味、古米の味

新米より古米がうまい?


「今は低温倉庫が当たり前になっているので、古米も新米と変わらない。むしろ古米の方が味が乗ってて美味い。」ということをまことしやかに言う人が時々います。食通を気取るオジサマか、古米の売残り在庫を山ほど抱えている販売業者や直売農家に多いようです。
 本当にそうなのでしょうか?これについて私見を記します。ちなみに、この記事で「古米」とは前年度産のコメを考えています。

格差の縮小


 まず、低温倉庫や籾貯蔵の普及その他保管技術の進歩によって、古米の品質がかつてよりも大きく向上したことは事実と思います。保管の仕方があまり重要視されていなかった昭和時代はあきらかに新米の方が美味しく、そのためにやたらと新米をありがたがり古米を嫌悪したのも理解できます。しかし現在は適切に保管されたコメであれば古米臭がきつくて食べられないなんてことは滅多になく、普通に食べられてます。この数年連続したコメの値上もあってか、かなり遅い季節まで古米で引っ張っている飲食店等もありますね。
 また、新米は乾燥が不十分で水分量が多いから水加減を控えめに、なんて昔は言われていましたが、それは機械乾燥が普及していなかった時代の話で、今でも確かに新米は軟らかいのですが昔ほどに水加減を減らす必要もないと思います。
 機械乾燥の普及により新米の乾燥不足の減少と、低温貯蔵の普及による古米の品質劣化の緩和によって、新米と古米の違いは昔ほど大きくはないということです。
 余談ですが、乾燥機の普及と品種の移り変わりによって、太平洋側の産地=硬質米、日本海側の産地=軟質米という言葉が死語になっていますね。

一長一短


 さてしかし、古米と新米が同じかと聞かれたら、これは明確に違う。実際に食べ比べてみれば、ほとんどの方が味の違いに気付かれるでしょう。古米は低温倉庫で保管されていたとしてもやはり古米の味がしますし、新米は独特のキャラクターを感じます。この違いはどちらが上か下かというものではなく、どちらが美味いかは人それぞれの好みに依存するし、業務用なら扱いやすさも考慮されると思います。

 新米は独特のさわやかな香り、透明感のある味、瑞々しさがあり、いかにも消化に良さそうでふっくらした食感は何杯でもスーッとお腹に収まっていきます。反面、この瑞々しさを水っぽい、柔らかすぎると感じ、張り、粒々感、歯ごたえを求める人には物足りなさを覚える人もいるでしょう。エグみ、イヤミがない裏返しで食べ応えに乏しく、業務用としても古米からの切り替えにおいては炊き上がりがコントロールし難い、といった短所があります。しかし、それらの短所も年が明ける前後には解消されるように感じます。
 古米は安定感や新米にはないコクがあります。ただ、このコクも程度の話で、強くなってくるとむしろエグみに感じられる。新米のような爽やかな香りや後に残る甘味に乏しく、粘りは確実に劣り、噛んだ時のそっけない食感はマイナスポイントです。また、そのシーズンに一度新米を食べてしまうと、それ以降は古米を食べるとどうしても古米臭が気になるものです。

まとめとしての私見


 用途と好みの問題。扱いやすさでは古米。新米の風味は独特で、この瑞々しさを水っぽいと感じる人もいます。
 しかし、新米特有の味わいはこの時期だけのものです。この時期に味わっておかなければ来シーズンまで出会えません。特有の瑞々しくやわらかな食感をしっかり堪能したいものです。

 ちなみに私は収穫後年明けからゴールデンウィーク明けまでが一番美味しい季節だと思ってます。コクがあるけどエグミがない。次いで収穫から正月までのいわゆる新米の期間。梅雨時期以降はどんどん味が落ちると感じます。これは低温貯蔵、籾貯蔵であっても劣化は確実にあります。新米より古米のほうが美味いとは、私には決して思えません。
 ということで、この新米時期は白飯なら古米よりも新米を食べたい派ですが、用途(焼飯、炊き込み、寿司飯など)によっては古米で良いかという感じです。

2017/11/22

中外食のコメの価格とか

低価格帯のコメが高騰していますが、中外食から消費者への影響が目に見えるようになり、テレビのニュースワイドショーなどでも取り上げられる話題となっています。

曰く、高騰の原因として、
業務用米農家減少の一つの理由としては減反政策の廃止である。国が農家を守ってくれる政策で、米を作る量を国がある程度調整し、米の価格を調整してきた。その際は使わない田んぼに対して補助金を支給する制度があったがその補助金支給をやめた。すると業務用米を作っている人は高く売れる家庭用米を作って利益を出して方が良いのではとのことで業務用米を作らなくなった。もう一つの理由は2014年に飼料用米制度が施行されたこと。飼料用米は圧倒的に安い値段ではあるが家庭用米と業務用米は今後補助金が出なくなる。しかし飼料用米は最大10万5000円も手厚い補償金があるため飼料用米を作る人が多くいるためである。( [直撃LIVE グッディ! (2017年11月21日放送回) ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)

以下は私なりの考えです。

上記引用では生産者が業務用から家庭用に切り替えたため、という説明がありますが、業務用(中外食向け)から家庭用という動きもないわけじゃないでしょうが、どうなんでしょうか?家庭用と言ってもスーパーの特売コーナーのコメと業務用のコメの境界は曖昧です。

また、東北・北陸各県からのブランド米デビューが盛んであることから、米どころの生産者が高価格帯にシフトした結果と分析する記事も目にしまた記憶がありますが、まだ今年は各県とも試験的な作付け面積であり、それほどのインパクトがあるか疑問ですね。また食味で競う高価格クラスは業務用以上に小さなパイを取り合う難しい市場でしょうし。

上記リンク先の番組では触れられてないようですが、法人化や高齢化により安価な未検査米の庭先集荷が減ったのではないか、だとすればそれも原因の一つではないかと思っています。
余談ですが、法人化や高齢化による離農は縁古米の流通量へも影響するでしょう。その代わりがふるさと納税の返礼品でしょうか。取立て美味いわけでもないが、別にそう悪くもないというクラスのコメ。業務用の一部、スーパーのコメと同じ雰囲気のコメ。お徳に貰えるのだからそれでも文句はない、という意味では縁古米に近い。

そして、飼料米。
この数年の作付状況からして、これが一番の原因でしょう。コメから飼料への転換は、食料自給率を上げると同時に、農地を保全しながら過剰に生産されがちなコメの需給を引き締め価格を維持するのが狙いでしょう。
政府による過剰米の買い入れや隔離による価格安定よりは余程ましだと思いますが、それでも補助金の過大さや政策の継続に対する不信などの問題があります。また必ずしも飼料米専用品種でなければいけないというわけでもなく生産者が作りなれた主食用品種が飼料米としてつくられることもあり、その結果税金で家畜にコシヒカリを食わせる一方、納税者たる国民はファストフード・チェーンで輸入米やくず米ブレンドを食べるという現象も。また補助金の動向次第では主食用米への逆流入からのコメ暴落、コメ生産崩壊という心配も消えません。将来的には100万トン以上の飼料米生産がめざされているわけですが、この100万トンが価格安定のバッファとして機能するのか、はたまた不安定をもたらす存在となるのか。

まあ、生産コストからみてこれまでの価格が安すぎた。しかしそれ以上に供給が過剰だったため、需給からは決して安価ではなかった。安すぎる米価をそれが当たり前の価格と実需者が思い込んだ責任の一端は過剰作付けを続けてきた生産者たち自身にもあると思います。
従来の価格を適正と考える実需者やそれを前提としたサービスを受けていた消費者は、これ以上の米価の上昇に対しては淡々と輸入米を求めてくるでしょう。目先の価格に一喜一憂していると外国産米に業務用のシェアを奪われることになりかない。
今のところ一部の生産を飼料米へ隔離することで見かけ上は需給のバランスが取れてきました。ただ、飼料「米」である限り、潜在的にはコメ生産の過剰は解消されていないでしょう。いずれは飼料生産者とコメ生産者と、別の道に分かれる必要があるのではないかと思います。

最後にボヤキ。
現在は、中外食業者が望む価格と品質レベルのものが、求められているコメ、あるいは売れるコメとされています。まずは価格ありきで品質はそこそこ。テクスチャーはそこそこでコメの甘味や香りはない、そんなコメが「売れるコメ」とされているようです。美味いとは言えない、おにぎりの塩加減や弁当の濃い味のおかずで押し込む腹を満たすためのご飯です。
また学校の米飯給食。「地産地消」やら「和食文化」などと通りの良い言葉を使えばいいというものではないでしょう。食べ物は、口に入れるモノそれ自体が意味を持ち、雄弁に語るのです。どうも学校給食の炊飯を食べて育った子供たちはご飯の甘味や香りを知らないようなのです。とんだネガティブキャンペーンになっているのでは?
中外食、給食の不味いご飯こそが、コメの消費を下げた主犯ではないかと思うのです。


2017/11/18

農産物検査と未検査米

どうも世間的に、未検査米というものはなにか劣悪なコメとか、違法なコメだとか不当に認識されているのではないでしょうか。

そもそも未検査米とは農産物検査法の品位等検査を受けてないコメという意味です。これを受検して検査証明書ももらったコメが検査米。そして、この農産物検査法の検査証明書(例えば30㎏/袋の荷姿なら袋に印刷されたテンプレに内容が記入され印鑑が押してある)が、精米・玄米の一般小売での食品表示法食品表示基準で規定されている原料玄米の「産地」、「品種」、「産年」の表示根拠として流用されています。
ちなみに農産物検査法には「成分検査」の規定もあり、コメの場合はアミロース、たん白質の割合が検査項目となっていますが、これを受けなくても未検査米というわけではありません。品質チェックのために産地や精米業者が自身が持つ分析計を用いての非公式な分析は日常的にいたるところで行われてますが、農産物検査法の登録検査機関による成分検査を受けてるコメはあまりないでしょう。

もちろんこの検査を受けていないコメを販売することは違法でもなんでもありません。上記のような誤解が生じたのは、平成7年に廃止された食糧管理法時代に違法だった「ヤミ米」の概念がいまだに引きずられているためでしょう。国が主要食糧として位置づけるコメの法律上の扱いが大きく変わったわけですが、国民一般への周知はあまりなされてないようで二十数年たった今でも勘違いが横行しています。せいぜい農家や米穀店による地道な説明くらいしかない。むしろ国というか農水省は未検査米=違法という誤解が解けないほうがいいと思ってるんじゃないか?と下衆な勘繰りも。

ただし未検査米自体は違法でも何でもないのですが、これに「品種」「産年」を表示して販売することは食品表示法違反(産地は米トレサ法でむしろ表示が必要)。よく農家が未検査米を品種や新米をアピールしながら販売していますが、あれはアウト。産地品種銘柄に入ってない銘柄をうたっている場合なんてあきらかにアウト。

農水省は農家は野放し状態にしてますが、米穀店が同じことをすれば大きく報道されるというダブルスタンダードが存在します。よって米穀店が潰れるリスクを冒してまでこれに違反する行為はまずしない。しかし、そのために面白いんだけど売りにくくて手を出せないというコメがでてくる。珍しい品種だったり、変わった取り組みをしてる生産者だったりのコメでも、未検査であれば「未検査」とか「複数原料米」などのネガティブなイメージの文言を一括表示欄に記載する必要がありますし、米袋に品種名を表示することも許されません。

もちろん消費者を騙すような虚偽の表示は許されるものではないし、それがまかり通るような法律であって良いわけじゃありません。取引価格の高い確立されたブランド名を騙るような悪質なケースは取り締まるべきでしょう。しかし、そんな詐欺とか不正競争防止法違反といえるようなケースと、品種の検査を受けられないマイナー品種の品種名の表示とを同じように扱っていいものか。この制度が明るく活発なコメ消費の足を引っ張っていないか。と、そんな風に感じるわけです。

29年産の高騰について

コンビニ等でおにぎり値上げのニュース。
おにぎり値上げ 業務用米高値 価格に転嫁 コンビニスーパー

リンク先は日本農業新聞の記事がヤフーニュースに転載されたものです。
けっこうな量の読者のコメントがついており、関心の高さが感じられます。コメントのごく一部しか目を通してませんが、コメ業界、消費者、生産者との三者間の認識の違いも面白いです。

米穀店的には当然に予想された値上げですが、コメが高騰している事実を知らない消費者が多いこと、コメが売れない問題と業務用米の不足の関係がうまく理解されてないこと、昨年以前から飼料米政策に起因する低価格米が不足気味であることが一般には知られていないこと、作況指数からみて値上げは不可解と感じられていること、などなど。
そして消費者のみならず生産者も流通についてはあまり確かな知識を持っていないということ。

そして農家の側からすれば高くなったと言ってもまだまだ安くてやってられないレベル。消費者の側からすれば生活を苦しめる不条理な値上げ。流通からすると仕入れは上がるのに売値に転嫁できない、とりあえず来年以降は落ち着くだろうから今年は何とか生き延びたい。
三者とも苦しいばかり。たちの悪い大岡裁きです。

わたしはこの状況は、産地の衰退以上に消費地が消耗していることの表れだと解釈します。
かつて昭和時代の生産地の衰退は若者の都市部への流出によるものでした。今は消費地の衰退と生産地の衰退がリンクしているように見えます。

都市部が農村部に対して経済的に優位だった時代には、都市住人による農産物の購入や観光消費、国や自治体の財政などを通じて消費地が生産地を経済的に支える形が自然に可能でした。今でも農村部で村おこし的なことを考えている人たちのなかには、そういう構造を前提にしているの人も多いのではないでしょうか。
しかし、今の消費地・都市部にはこれ以上生産地・農村部を支えるだけの力がない。もはや打ち出の小づちではないのです。すべての農村部を支えられるほどの力量はないのです。
都市部の貧困を目の当たりにすれば消費地の購買力をあてにすることの難しさが理解されるでしょう。むしろ都市部を含めた日本全体がインバウンド消費などと、外国人の財布をあてにした村おこし的なものに希望をつないでいるくらいです。

都市部消費者の購買力の低下。これから目を逸らすなら、消費者、中外食業者などの実需者が外国産というもう一つの選択肢を選ぶのを後押しすることになりかねないでしょう。

2014/12/09

おこめ券

 ご存じと思いますが、「おこめ券」というギフト券があります。ちょっとしたお礼とか記念品、内祝い、快気祝なんかに活用されています。

 発行しているのは、全国米穀販売事業協同組合、略して全米飯。全農が発行している「おこめギフト券」というのもありますが、全米飯のおこめ券の方が少しだけメジャーでしょうか。
 どちらも1枚440円分の買い物券として使えます。また、ご存知ない方も多いようですが、米穀店だけでなく、コンビニやスーパーでも大抵は通用します。

 そんな、おこめ券について気になるというか、思う所を少々。

440円の金券だが、販売する時は500円。

これは、ビール券なんかと同じですね。60円ほどが印刷やら流通コストとしてのっている。
 企業が自社専用のギフト券を発行する場合は、使用価値と同額か、あるいはプレミアムがついてる場合もあるのに比べて、古臭く感じてしまいます。特定の企業が自社の販売促進のために発行しているものとは違うわけで、仕方ないかもしれませんが。

券面にでかでかと「1kg」と記されている。

これは誤解を招くもので、どうにかならんかなと思っています。あくまで1枚440円分の買い物券なのですが、お客さんはこの券1枚で米1kg貰えると思い込んでしまいます。おコメの価格なんて、それより安い物もあればずっと高い物も。若い人ならまだいいのですが、お年寄りに説明するのは結構大変です。
 ただ、「1kg」と書いてなければ、おこめ券っぽくないというか、なにものでもない商品券でしかないのも確かで・・。やっぱり、おこめ券のアイデンティティとして「1kg」の記載は必要なのか・・・?

 そんなおこめ券ですが、今年4月初頭、おこめ券を利用して買い物をされた方が若干目立ちました。つまり、新消費税率が導入されてからおこめ券で買い物される方が目立ったということ。
 で、私の推測なんですが、この方達は1枚440円ということを知らずに、1kg/枚のコメが買えると思っていたのではないか、と。ならば、消費税増税後に使った方が得である、と勘違いしてたのではなかろうか。
 結局は440円相当の金券でしかないのですから、おこめ券であろうが現金であろうが、増税前に買った方が得なわけです。
 まあ、単に4月というシーズン、御祝に貰ったおこめ券を使った人が多かっただけかもしれません。私の勝手な思いすごしかどうかの判定は、次の増税時の観察結果に委ねられています。

鼻白むニュース

 半月くらい前にみた、テレビのローカルニュース。
 要約すると、

  • 今年のコメ価格は全国的に大幅に下がったが、農水省の統計によれば、当県内の下落幅は近隣地方内で最も少なく、結果として地方内では最高値となった。
  • その理由について、農水省は「品質の高いコメ作りによる販売先の確保に加え、地域の需要に見合った生産量の作付けが、価格低下を回避」と分析している。
 という内容。

 ここの発表を基に、農水省からもらったコメントを付けてつくったニュースですね。前半まではなんてことなく聞き流してました。「やはり、当県内産のコスパは悪いよなあ。」なんて思いながら。 
 しかし、後半の説明がなんとも鼻白む。だいたい、いくら農水省が発表した統計についてであっても、価格の理由について農水省なんかに聞いてもわからんでしょう。聞かれた方も、仕方なしに、なんとなく恰好がついて当たり障りのない回答をするしかない。

 何が鼻白むかといえば、このニュースをみたちょうど前日、取引のある業者から電話があり、県内産精米についてスポットでどこか使ってくれるところはないかと、かなりのダンピング価格を提示しながらの問い合わせがあったばかりだったからです。
 縁故米シーズンということもありますが、特に今年はスーパーが安売りしてもコメが動かない、裏にはコメがあふれてるとも聞きます。けどスーパーも特売しなきゃならないし、精米年月日は新しくなければいけない。店頭に出せない売れ残りはさらに膨れる。そんなコメが業務用にダンピングされていくわけです。


 また、いまだに24年産の県産米もけっこう残っているとも聞きます。

 確かに、「販売先の確保」という部分は、まるっきりハズレとは言えないでしょう。ただし、学校給食や病院、施設に対する市町村会議員等有力者による強い営業力に頼ったものであったり、卸売業者への押しつけであったり。消費地での売れ行きを無視すれば、確かにJAグループから民間業者への販売は出来ているといえるでしょう。しかしそれは、実際にコメを食べる人に支持されての結果とは思えません。
 品質や味は二の次、三の次で、とにかく地産地消のスローガン、政治力で売るという姿勢がいまだ根強く残っているのです。これには権威に弱い県民体質というのもあるのでしょう。地産地消というより地縁血縁といった方がいいかも。
 これでは、正しい意味での「需要に見合った生産量」とはいえないと思えます。

 そして、「品質の高いコメづくりによる販売先の確保」という部分。
 これこそ、当たり障りのない意味のない言葉でしかないのですが、しかしこれを聞いた県内生産者が勘違いするならば、むしろ有害ですらあります。
 生産者間の本当の競争、淘汰が始まろうかというこれから、品質の向上あるいはコストの削減へと、それぞれの方向へますますレベルアップしていくだろう有力生産地との力の差が、さらに広がっていくのではないかとの危惧を感じます。
 一体、このニュースは、なにが言いたかったのか、誰に向けたものだったのか。テレビのニュース番組のお得意様である、農村の老人生産者の自尊心をくすぐるためだったとしたら悲しい話です。